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世界の反ファシズム戦争に対する中国共産党の歴史的貢献

発表時間:2015-07-29 | 字体拡大 | 字体縮小

著者:中国共産党中央党史研究室理論研究センター | 出所:『人民日報』

  70年前に終戦した世界の反ファシズム戦争は人類史上かつてない規模の戦争である。こうした戦火はアジア、ヨーロッパ、アフリカとオセアニアに及んで、合せて80余ヵ国と地区の約20億人口が巻き込まれた。この戦争はドイツ、イタリア、日本をはじめとしたファシズム勢力が人類にもたらした災難であり、世界の正義と邪悪、光明と暗黒て、進歩と反動、文明と野蛮な勢力の間の大きな決戦であった。この戦火が飛び散り、硝煙の立ち込めた世界大戦を見渡して、中国共産党は全民族の抗日戦争の中で大黒柱とした役割を発揮しただけではなく、世界の反ファシズム戦争のために特別な歴史的貢献をした。

  一、抗日民族統一戦線の旗印を高く掲げ、国際反ファシズム統一戦線の形成を大いに推し進める

  20世紀30年代、アジア欧州の2つの大規模戦争の発祥地は相前後して形成し、日本、ドイツのファシズム勢力が荒れ狂って、相前後してアジア欧州で世界大戦の戦火を点火した。中国人民の抗日戦争は最初から平和と正義を擁護し、人類の文明を救うために戦う世界的意味がある。中国共産党は抗日民族統一戦線の確立を推進し、日本のファッシズムを打ち破るための基礎を打ち立てただけではなく、国際反ファシズム統一戦線の確立するために有利な条件を作り出した。

  (1)中国共産党は中国の各派政治勢力の中で最も早く反ファシズム闘争を展開し、局部の抗日戦争を推進して、真っ先に世界反ファシズム戦争の序幕を開いた

  1931年の「九一八」事変が発生した時、日本の中国の東北に対する野蛮な侵略に直面して、中国共産党は直ちに抗日の呼びかけを打ち出した。9月20日、中国共産党は公式に宣言を発表し、日本帝国主義の東北占領に反対した。そのあと、中国共産党中央、中華ソビエト共和国臨時中央政府は10余りの文書を発表し、日本の侵略野心と国民党政府の「不抵抗」政策のひどい危害を暴き出し、民衆に抗日に立ち上がるよう呼びかけ、中国共産党が断固として日本の侵略に反対し、領土を取り戻す鮮明な立場と断固たる決意を表明した。中国共産党の呼びかけと推進の下、大衆的抗日救国運動は全国範囲内で盛んに盛り上がり、急遽に高まりとなった。

  1932年4月15日、中華ソビエトの共和国臨時中央政府は正式に日本に対して宣戦して、国民党政府の対日宣戦より9年も早かった。日本の侵略抵抗するために、中国共産党中央は共産党員、共産主義青年団員に東北の農村に深く入り大衆を組織して動員するように呼びかけ、抗日遊撃隊を組織し確立し、1933年に東北人民革命軍を確立した。1936年2月、中国共産党は東北の各抗日武装勢力を統一して東北抗日連合軍と改編した。1937年になると、東北抗日連合軍は11の軍3万余りの人に発展し、東南満州、吉林東部、北満州の三つの大きな遊撃地区を切り開き、東北で抗日の主力軍となった。東北抗日連合軍が長白山・黒竜江にに転戦し、敵と味方の力が多勢に無勢で、極めて悪い状況の下で、苦難に満ちていてもかかわらず、日本傀儡軍と大・小・何千回もの戦い、日本侵略者の中国東北にある植民地統治を大いに脅して、世界の反ファシズム戦争のために最初の手柄を立てた。

  中国共産党は山海関以内(南部)のその他の地域の局部の抗日戦争に対して大いに声援し、サポートした。民衆を動員して国民党第19路軍の淞滬抗日戦を支援した。国民党将軍馮玉祥と協力し、抗日同盟軍を組織し、チャハル抗日闘争を巻き起こした。中国共産党代表団を組織するとともに、各界を動員し綏遠の抗日将兵を慰問し、声援した。

  局部的抗日戦争の全時期に、中国共産党は東北の抗日闘争を指導し、各地の局地の抗日戦争を大いに支持して声援し、全国の抗日救国運動の盛り上がりを促進して、中華民族の抗日前衛部隊の姿で国民の目のあたりに現れた。

  (2)中国共産党はずっと大きな抱負、広い視野で中国と世界を観察し、毅然として国際反ファシズム統一戦線の旗印を掲げている。

  中国共産党は民族の危機存亡を救うために、抗日民族統一戦線の確立を積極的に提唱するとともに、国際反ファシズム統一戦線を確立し、国際平和を擁護する主張を打ち出した。1935年、中国共産党は『八一宣言』の中で次のように提起し、すべての反帝国主義の民衆を友軍として連合し、すべて中国の民族解放運動に同情する民族と国家と連合する。1936年7月、毛沢東は米国記者スノーと談話した際に次のように明確に指摘し、「東方の平和と戦争は世界的問題である」「日本帝国主義は中国の敵だけでなく、平和を求める世界各国人民の敵でもある」。われわれは各国、各国人民、各党派と各大衆組織と団結し、日本帝国主義に反対する統一戦線を結成する」。1937年3月、毛沢東は米国作家、記者スメドレーと談話した際、次のように重ねて言明し、われわれは中国、イギリス、アメリカ、フランス、ソ連は太平洋統一戦線を結成するよう主張している。スノーとスメドレーとの談話を通じて、中国共産党は反ファシズム世界連盟を確立するという主張を全世界に伝えた。

  中国の全国的抗日戦争の勃発、抗日民族統一戦線の確立した後、中国共産党はいっそう積極的に国際反ファシズム統一戦線の確立を推進した。1938年2月、イギリスで開催した中国支援・日本抑制の世界大会を応援するために、中国共産党は延安で反侵略大会を開いた。毛沢東は演説を行い、次のように指摘し、今3つの反侵略統一戦線があり、つまり中国の統一戦線、世界の統一戦線、日本国民の統一戦線がある。反侵略は今日世界政治の総方向であると。1939年1月、毛沢東はまた次のように強調し、「偉大な中国抗日戦争は、中国の事、東方の事だけではなく、世界の事でもある」、「われわれの敵は世界的敵であり、中国の抗日戦争は世界的抗日戦争である」。ソ連・ドイツ戦争の勃発後、間もなくして、毛沢東は中国共産党中央のために書いた党内指示の中で次のように提起し、「現在共産党員の全世界における任務は各国人民を動員し国際統一戦線を組織し、ファシズムに反対するために闘争することである」。1941年7月、周恩来は次のように、「われわれは抗日戦争を4年間もの行ったし、すでに東方の反ファシズムの前衛となった」、「もしいったん敵は北や南へ入ったりすれば、われわれは更に敵の牽制に努めるべきであり、それが両側や多方面作戦の困難に陥られるようにし、国際反ファシズム侵略戦線の主な一員の責任を果たし、それでははじめて東方反ファシズムの前衛に恥じず、真に中ソ英米を中心にして世界反ファシズム侵略戦線を結成することができる」と指摘した。

  ファシズムに反対し、それを消滅させ、人類の平和を守ること、これは全世界人民の共通使命であり、世界平和と正義の力は連合してはじめてファシズムに打ち勝つことができる。中国共産党の指導者は洞窟に住んでいて、天下の変化を見て、時代の大趨勢を図り、未来の道をさし示し、中国と世界で国際反ファシズム統一戦線の確立を大いに唱えて、最初から対岸の火事、宥和・中立を保ち、災禍を外へ引いてもついに戦火に焼かれたあれらの者と比較すれば、自ずから遠大な見識をもち、抱負の大きな大局的知見が現れていた。

  (3)中国共産党が抗日民族統一戦線を以て国際反ファシズム統一戦線の確立を推し進め、国際反ファシズム統一戦線の形成のために重要な貢献をした

  中国の抗日民族統一戦線の確立は、中国の抗日戦争に対して重要な効果を発揮しただけではなく、国際反ファシズム統一戦線の形成にも重要な促進する役割を果たしていた。中国共産党は、中国の抗日民族統一戦線の確立は、国際反ファシズム統一戦線の確立に必要な前提と基礎だと考えた。1936年7月、毛沢東は次のように指摘し、中国の抗日戦争は勝利を勝ちとるには、3つの条件が必要で、第一は中国抗日統一戦線の達成、第二は国際抗日統一戦線の達成、第三は日本国内の人民と日本の植民地の人民の革命運動のもりあがりである」。抗日民族統一戦線の積極的な提唱者として、中国共産党は終始民族の解放を自ずからの任務として、「兄弟牆に鬩げと、外その侮りを禦ぐ」という広い胸で、これまでのしこりを水に流し、国民党との深い恨みをおろして、抗日民族統一戦線を確立するために絶えず努め、ついに2回目の国共合作を基礎とした全民族が共に抗日の局面の実現を推し進めた。「劫波(ごうは)を度(わた)り尽して兄弟在り 相逢う て一笑 恩讐(おんしゅう)を泯(ほろぼ)す」。全国的な抗日戦争の勃発後、中国共産党の積極的に努力したことで、各民族の人々、香港・マカオ・台湾の同胞と海外同胞を含んで、抗日民族統一戦線の旗印の下で集まり、中華民族の独立と解放のために共に奮闘するようになった。1938年初、毛沢東はマレーシア華僑抗敵後援会代表団のために記念の言葉を揮毫し、「共産党は海外同胞に関心を寄せて、華僑同胞全体と抗日統一戦線を結成したい願いであります」。国際反ファシズム統一戦線の確立を促進するために、中国共産党が1941年10月、延安で朝鮮、日本、インド、ベトナム、ミャンマー、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアのなどの国家と地区の130数名が出席した東方の各民族の反ファシズム代表大会にを催した。大会は東方の各民族の力を結集し、強固な反ファシズム統一戦線の確立を提起した。会議は「東方の各民族の反ファシズム連盟」の確立を決定するとともに、中国、日本、ソ連、アメリカ、イギリスへの人民に告げる書を発表した。これは中国共産党が国際反ファシズム統一戦線の確立を推進するために繰り広げた重要な活動であった。

  太平洋戦争の勃発後、世界の反ファシズム戦争が新しい段階に入り、国際反ファシズム統一戦線の確立する過程も大いに加速された。中国共産党は、中国抗日民族統一戦線と国際反ファシズム統一戦線との関係を正し処理して、前者で後者を促進することが、抗日戦争と世界反ファシズム戦争の勝利を勝ち取る重要な条件だと考えていた。1941年12月9日、中国共産党は宣言を発表し、次のように指摘し、「全世界のすべての国家、民族は侵略戦争を行うファシズム戦線と解放戦争を行う反ファシズム戦線に区分され、すでに最後に明らかになった」。「中国と英米とその他の抗日諸友好国が軍事同盟を締結し、協力して戦うとともに、太平洋のすべての抗日民族の統一戦線を確立し、抗日戦争の全面的勝利まで抗戦を堅持する」。中国共産党はまた世界の反ファシズム戦争の全局面から次のように指摘し、「中国人民、中国の華僑同胞と東南アジアの各民族の主要任務は、太平洋の各民族の広範な、ファシズム日本・ドイツ・イタリアに反対する民族統一戦線を確立することである」。このために、中国共産党中央は朱徳が書記を担任する海外活動委員会を確立し、如何に国際反日統一戦線を組織する戦略と策略および軍事面で如何に英米同盟軍と協力し、日本侵略者に抵抗するよう努めることを検討した。1942年1月1日、中、米、英、ソ連四国をはじめとする26ヵ国がワシントンで共に『連合国共同宣言』を締結した。これで、国際反ファシズム統一戦線は正式に確立され、世界反ファシズム戦争の新しい1ページを開かれた。

  国際反ファシズム統一戦線は中国の抗日民族統一戦線の発展と延長であり、中国共産党は国際反ファシズム統一戦線の提唱者だけではなく、重要な推進者でもある。局部で全体の局面を推進し、中国から世界に目を向け、中国の抗日民族統一戦線で国際反ファシズム統一戦線の形成を推進し、中国共産党統一戦線の政策が理論から実践への飛躍と昇華である。

  二、全面的抗日戦争路線を実行し、積極的に世界の反ファシズム戦争に身を投じる

  全国的な抗日戦争が勃発した後、完全に武装した、きわめて凶暴で残酷な日本の侵略者に直面して、中国人民はかつてなかった民族解放戦争の勝利を得ることができるかどうかは、直接中華民族の生死存亡に関係し、世界の反ファシズム戦争の戦局にも深く影響した。中国共産党の指導した敵後方の戦場と国民党の指導した正面戦場とそれぞれに独立し、また互いに依存している、第2次世界大戦の戦争の奇観となった。中国共産党は、苦難に満ちた抗戦を堅持一方、世界の反ファシズム戦争に対して大いに協力し、呼応し、サポートした。

  (1)中国共産党は広範に大衆を発動し全面的抗日戦争路線、持久戦の戦略総方針、ゲリラ戦の戦略戦術を制定・実行し、抗日戦争の勝利を獲得するための根本的保証を提供し、世界の軍事理論と実践をも豊かにした

  日本が大挙して中国を侵略し、中華民族の生死存亡の歴史の瀬戸際に、中国共産党は毅然として民族の危機存亡を救う歴史の重任を担っていた。1935年12月、毛沢東は次のように科学的に予見をし、日本帝国主義を打倒するには、必ず持久戦の準備をしなければならない1937年8月、中国共産党中央の洛川会議は『抗日救国十大綱領』を採択し、抗日戦争期における党の基本的方策を系統的に明らかに述べ、「全面的な全民族の抗日戦争」路線を正式に確定し、抗日戦争の軍事戦略は「持久戦」である。1938年5月、毛沢東は全党の知恵を集中し、抗日戦争を指導する軍事理論の文章『持久戦について』を創意的に書き、遊撃戦を戦略の次元に向上させ、抗日戦争が戦略的防御、戦略的対峙と戦略的反撃の3段階を通ると科学的予測し、中国が必ず持久戦を経て抗日戦争の最後の勝利を迎えなければならないとを明らかに述べた。毛沢東は武装闘争と非武装闘争を互いに結合し、軍隊の作戦と民兵の作戦と結合し、正規戦は遊撃戦と結合し、内線作戦と外線作戦と結合し、敵の速攻で勝敗を決し、中国を滅ぼす妄想を打ち破って、世界反ファシズム戦争理論の宝庫に新しい軍事理論の武器を加え、国内外から高く評価された。米国軍事論説家ヴェルナー ( M.XWerner)は次のようにほめたたえ、「第2次世界大戦において、どこでの遊撃戦も中国での遊撃戦のように戦略的任務を担うことができない」。その年日本軍大本営の山崎重三男が『毛沢東の遊撃戦略は百万帝国陸軍をぐるぐると回らせた』というテーマの文章では、「毛沢東の抗日遊撃戦は、世界歴史において規模が最も大きかったし、質の最も高い遊撃戦と言える。それは国民全体の総動員の攻勢戦略である」と讃えていた。日本の軍事評論家家久任忠男は「20世紀に現れた各種の戦略著作の中で、最も特色のあったのは毛沢東の遊撃戦の理論である」と認めていた。

  (2)中国共産党の指導した敵後方の抗日戦争は世界の反ファシズム戦争のアジアの主要戦場への強力なサポートとなった。

  全国的な抗日戦争の勃発後、国民党と共産党2党の軍事戦略的配置により、中国共産党の指導した人民軍隊は重点的に敵後方へ発展し、敵後方で抗日根拠地を確立し、正面戦場と対応し、戦略上でお互いに支持し、協力し、呼応しあって、独立した広大な敵後方の戦場を逐次切り開き、正面戦場と協力し日本軍にはさみ打ちを与える戦略的構造を形成し、力強く正面の戦場に呼応した。抗日戦争は戦略的対峙段階以降、中国共産党の指導した抗日武装と敵後方の戦場は次第に中国の抗日戦争の主要戦場に上昇した。その時正面戦場における大規模作戦が減っており、八路軍とその他の人民軍隊は百団大戦など一連の作戦を発動し、日本軍に重い打撃を与え、全国軍民の持久的抗日戦争を堅持する自信を固めた。同時に、中国侵略日本軍は兵力を集中し敵後方の抗日根拠地に打撃を与え、残虐な「3光」政策を実行し、千里の「無人地区」をつくった。特に1941年から1942年までの間、敵後方の抗日戦争はかつてない困難の局面にあった。中国共産党の指導の下で、抗日軍民は恐れることなく、勇敢に敵に抗戦し、日本侵略者と長期にわたって苦難にみちた闘争を行い、粘り強く世界の反ファシズム戦争のアジア主要戦場を支えた。1943年秋以降、敵後方の戦場はだんだん戦局が転換され、局部の反撃に転換するようになり、1945年前半に全面的に反撃に入り、ついに抗日戦争の偉大な勝利を勝ち取った。

  抗日戦争の全過程において、中国共産党の指導した抗日軍民の戦績が輝かしく、敵と12.5万回戦い、日本傀儡軍171.4万人を殲滅した。同時に、共産党の自身の勢力もかつてないほど強大になり、党員は120余万人に発展し、人民軍隊は132万人に拡大され、民兵は260万人に発展させ、19つの抗日根拠地の面積は100余万平方キロメートルに達し、人口は1.25億を持っていた。敵後方の抗日武装勢力は合せて死傷者61万数人であった。1945年3月18日、日本東京『同盟世界週刊』は「われわれの見解では、真の抗日勢力は、終始一貫しているのは中国共産党である」と嘆いた。当時の中国侵略日本軍の総司令官の岡村寧次がその後の回想録中で、八路軍が作戦が勇敢で、内部が団結し、ただ武器・装備があまり悪かった」と認めていた。

  要するに、中国共産党及びその指導した人民軍隊が切り開いた敵後方の戦場が、長期にわたり苦難にみちた抗日戦争を堅持し、たえず発展し、強大になり、単独で敵と戦う抗日戦場になり、世界の反ファシズム戦争のアジアの主要戦場における中堅的力となった。

  (3)ファシズムに反対する戦争の中で、中国の敵後方の抗日戦争は世界各国の反ファシズム戦争と協力しあい、支持しあい、共に反ファシズム戦争の勝利を勝ち取った

  世界の反ファシズム戦争を見渡して、中国の抗日戦争が最も早く始まり、持続時間は最も長かったし、日本侵略者の徹底的な全滅に決定的役割を果たした。早くも東北局部の抗日戦争期、中国共産党は朝鮮の抗日志士と一緒に各種の抗日組織と武装を確立し、手を携えて進み、血みどろになって日本の侵略者と奮戦した。全国的な抗日戦争が勃発した後、中国共産党は効果的に日本国民の反戦運動を組織し、日本の反ファシズム戦士が「覚醒連盟」などの反戦組織の結成を支持し助け、抗日戦争の中で特殊な役割を発揮した。20世紀30年代の中期、中国共産党のフランスで創刊した『救国時報』の影響を受け、英、仏、独など諸国の下層の華僑は地元の平和・正義を擁護した人々と一緒に、直接あるいは間接的に各種の形で反ファシズム活動を展開した。太平洋戦争の勃発後、中国共産党は東南アジア各地で華僑および現地の民衆に呼びかけたり組織したり、きわめて恐怖の環境中で勇敢かつ粘り強く抗日闘争を展開した。中国共産党の華僑党員が組織し指導したフィリピン華僑抗日遊撃支隊は(「48支隊」と略称、八路軍新四軍の名前の略語)、フィリピンの敵に占領された時期に終始抗日闘争を堅持し、米国軍隊のフィリピン反撃作戦に強く協力した。中国共産党の影響を受けた華僑青年が次から次へとマレーシア人民抗日軍に参加し、現地の抗日闘争を堅持し、現地の抗日反ファシズム闘争の勝利のために手柄をを立てた。アメリカで、一部の中国共産党の影響を受けた華僑青年は積極的にアメリカ華僑反帝大同盟およびクリーニング業連合会に参加し、各種の抗日・中国援助活動に参加した。中国共産党の華僑党員唐明照などが筆頭株主として創刊した『アメリカ華僑デーリ』が、世界の反ファシズム闘争のラッパとなった。これらの影響を受け、米軍に参加した華僑青年が13000名余りになり、世界の各地の反ファシズム戦場に遠征していた。

  中国共産党は積極的に情報戦線反ファシズム闘争を展開した。1941年ソ連・ドイツ戦争の前夜、中国共産党中央は中共秘密情報人員閻宝航がドイツファシズムのソ連侵攻の正確な期日という情報をソ連に通達し、ソ連が早めに戦争準備に入るために貴重な時間を稼いだ。1944年夏、中国共産党中央はまた日本関東軍の中国東北の中ソ国境に配置した詳しい情況に関する閻宝航のリポートをソ連に伝え、蘇軍その日本精鋭部隊を消滅するために重要な役割を発揮した。中国の抗日戦争の勝利、世界のその他の反ファシズム戦場の呼応と協力に離れられない。中国共産党の指導した敵後方の抗日戦争も世界の平和・正義を擁護する国々、機構と人民の関心、同情と支持を得た。ベチューン、柯棣華(インド、元名はドワナト・サンタラム・コートニス)、ハンスなどの外国医療関係者と記者は中国の敵後方戦場に深く入り込んで、最も困難で危険な環境の中で中国の軍民と共に戦い、ひいては貴重な生命を捧げた。米国の進歩的作家スメドレーなど外国記者が、八路軍と新四軍などの作戦地域に取材し、多くの中国の抗日戦争の通信・報道を書いた。

  中国共産党の指導した敵後方戦場と世界の各国の反ファシズム戦場は不可分の全体で、世界各国反ファシズム勢力の中国敵後方戦場に対する支持、中国人民の日本侵略者に打ち勝つ自信と勇気を強め、中国の敵後方戦場の各国への支援は全世界人民の反ファシズム闘志を極めて大いに励ました。

  三、逐次世界舞台に向かい、戦後国際秩序づくりのために重要な貢献をした

  中国の抗日戦争の過程は、中国共産党が延安から世界舞台への過程である。抗日戦争期、中国共産党は積極的に国際舞台で活躍し、大国とする地位の確立と戦後国際秩序づくりに積極的にに力を尽くし、戦後の世界情勢の発展に深遠な影響を及ぼした。

  (1)中国共産党の進んで活動し、外交局面の打開に努め、積極的に独立自主の抗日外交路線を展開した

  全国的抗日戦争が始まると、洛川会議は『抗日救国十大綱領』を提起し、抗日外交政策を実行し、「領土の主権を喪失しない範囲内で、すべての侵略主義の日本に反対する国家と反侵略同盟および抗日軍事互助協定を締結する」。1941年5月、公布した『陝西・甘粛・寧夏辺区施政綱領』は次のようにはっきり規定し、「中国の主権の尊重と政府法令の遵守とう原則の下、いかなる外国人でも辺区への歴遊、抗日活動の参加、あるいは辺区で実業、文化と宗教活動を許可する」。1941年6月、ソ連・ドイツ戦争の勃発後、中国共産党は党内において指示を出し、「外交上、英米および他国のすべての独伊日ファシズム統治者に反対する人々と連合し、共通の敵に反対する」と。ほかに、大後方にいた中国共産党中央の南方局指導者と関連要員はつねに外国の中国駐在使節と中国支援機構の人員と新聞記者と会談し、外国友人と広く交際し、抗日外交活動を積極的に展開した。

  太平洋戦争の勃発後、中国共産党及びその指導した抗日根拠地の地位と役割は、多くの国際の人々から認可と重視を得た。1944年6月から、重慶駐在の外国記者は国内外記者西北参観団の発起、組織し、延安への訪問をした。1944年7から8月にかけて、中国・ビルマ(現 ミャンマー)インドシナ作戦区米軍司令部は延安に軍事観察チームを派遣し、延安に3年近く駐在し、その成員は特に晋綏(山西・綏遠)、山西・察哈尓・河北などの敵後方抗日根拠地を考察した。対外交流の拡大する必要に適応するため、1944年8月18日、中国共産党中央は特に『外交活動に関する指示』を出し、われわれの外交政策と活動は、必ずわが民族の立場にしっかり立たなければならないと明確に指摘した。一方では民族の自尊心の自信心を強化するが、外国を排斥するのではなく、他方は他国の長所を学ぶとともに、他人とうまく協力するが、決して外国を恐れたり、外国にこびたりするわけではない。毛沢東、周恩来、朱徳のなど指導者は外国記者と米軍観察チームのメンバーは何度も会談し、中国共産党の指導した抗日根拠地の軍民が敵後方抗日戦争を堅持した情況を全面的に紹介した。これは中国共産党の外部世界との連絡をつなぎ、更に広範に自らの主張を宣伝するために、非常に積極的な役割を果たした。

  (2)中国共産党は積極的に国際活動に参加し、国際舞台において自らや中国の一部分とする解放区の政治的影響を拡大した

  世界の反ファシズム戦争の勝利の前夜、中国は国連の発起、確立に参与しするとともに、国連安全保障理事会常任理事国になったことで、中国の国際地位と国際的影響を著しく向上させた。国連憲章制定会議の開催した前夜、中国代表団に広範な代表性を持たせるため、広大な解放区の民意を代表するため、中国共産党は何度も明確に、代表を派遣し、同会議に参加するよう提起した。中国共産党の努力、および国内外の圧力に迫られて、国民党政府はやむを得ずに、一方的に中国代表団を取り仕切り、独占することを諦めた。1945年4月から6月にかけて、中国共産党指導者の董必武は中国代表団の正式代表として、米国サンフランシスコで開催された国連憲章制定会議に出席した。会議の開催期間、董必武は第三委員会の安全保障理事会成立などの提案問題に関する討論に参加しただけではなく、中国共産党と解放区の人民を代表して厳かに国連憲章の上で署名した。会議が終わった後、董必武はまたニューヨークに行って、国際の友好な人々と海外華僑と接触し、中国共産党の国際地位の向上のために多くの仕事をし、たよえば英語版の『中国解放区実録』を出版し、配布し、中国共産党の抗日戦果と解放区の建設、発展の新しい成果などを紹介した。

  中国共産党は代表を派遣し、国連憲章制定会議に参加したこと、これは抗日戦争期、初めて国際政治舞台にデビューし重要なイベントに参加したこと、初めて国際舞台で正式に見得を切り、初めて自分の方針と政策と解放区の勝ち取った成果を直接世界に伝え、広範な国際友人と華僑の中で積極な影響をく及ぼした。

  (3)中国共産党は中国の大国とする地位の確立と戦後国際秩序づくりに力を尽くし、中華民族の復興を目指す歴史ポロセスと戦後世界の進歩的な流れを推し進めた

  国際反ファシズム統一戦線が正式に形成した後、中国共産党は普遍性のある戦後国際問題と中国に関係ある重要な国際問題に対して、自ら鮮明な主張と要求をうち出した。1942年7月、中国共産党中央の機関紙『解放日報』は文章を発表し次のように指摘し、反ファシズム戦争の勝利は人民の勝利とすべきで、各国はどんな社会制度をとるかは各国人民の選択を尊重するべきである。「戦後の中国は独立するとともに、各友好国と平等・互恵の関係をもつ中国であるべく、植民地の半植民地あるいは従属国ではなくなる」。1943年1月、中米、中英は治外法権を廃止する新条約の締結後、中国共産党中央はすぐさま、不平等条約の廃止を祝うと決定した。それとともに、次のように指摘し、真の平等の地位は「主として中国人民が自ずから努力して勝ち取るべきである」。その年11月、『解放日報』は社説を発表してまた次のように指摘し、1国以内で異なった反ファシズム政治勢力の、「国際国内における民主機構で享受する権利は、その勢力が反ファシズムへの貢献度によって決めるべきである」。1945年4月、毛沢東は、中国共産党第七回大大会政治報告『『連合政府について』の中で次のように指摘し、中国共産党の外交政策の基本原則は、徹底的に日本侵略者を打倒し、世界平和を維持し、国家の独立と平等地位の相互尊重し、国家と人民の利益の増大と友好の深化を踏まえて、各国と国交を確立し強化し、すべての相互関係問題を解決する』。中国自身の問題の外、『連合政府について』はまた積極的に日本国民の民主勢力による民主制度の確立を支援し、朝鮮人民の解放の獲得に手を差し伸べると積極的に呼びかけ、インドと東南アジア諸国人民が独立・民主の国家を確立するよう望んでいる。

  世界の反ファシズム戦争の勝利する前夜、中国共産党は国連の確立に参与し、他国といっしょに国連憲章とその他の国際関係の基本準則の制定を推し進めたこと、これは深遠な歴史的意味がある。国連憲章の正式の実施に従って、中国は国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとなり、戦後国際新しい秩序づくりも始まり、中華民族復興の歴史的プロセスを力強く推進した。国連の成立をスタートとして、国際平和と安全保障の新秩序は形成し始め、戦後世界情勢の発展は深遠な影響を与えた。これから、世界の進歩的な力は絶えず強くなり、昔列強による覇権争奪の国際体系と世界植民地主義の基礎が強く衝撃され、揺さぶられ、アジア、アフリカと南米の各植民地、従属国の独立運動と民族解放運動も次第に興り、阻むことのできない世界の潮流となった。

  歴史は雄弁に立証し、中国人民の抗日戦争こと世界のファシズム戦争の偉大な勝は、中華民族が近代来深刻な危機に陥ったことから大な復興に向かうために歴史の転換点を確立し、人類の平和・正義の事業の歴史的転換点にもなった。中国共産党は中華民族の偉大な復興の力強い推進者であり、人類の平和・正義事業の断固たる擁護者でもある。

  歴史は未来を示明する。世界の反ファシズム戦争勝利70年来、中国と世界は大きな変化が起こった。しかし情勢は如何に変化するにも関わらず、中国共産党はあくまでも世界平和を守り、人類社会の発展と進歩を推進する力である。世界の反ファシズム戦争においても、新中国の成立してからも、中国共産党が終始かわらず世界平和の維持、進歩と発展に力を尽くしてきた。まさに習近平同志が指摘したように、「われわれがいるのは激動な時代であり、直面するのは日進月歩の世界である」、「平和・発展、協力・ウィンウィンが時代の流れとなる」、「中国は平和・発展の道を確固不動として歩むとともに、世界平和を維持することによって自分に発展し、また自身の発展を通じて世界平和を維持する」、中国は世界各国と「手を携えて持久な平和を維持し、共に繁栄し調和のとれた世界を建設する」望みである。今日、新しい時代の流れと歴史的使命に直面し、中国共産党は引き続き中国を指導し、平和発展の道を歩み、更に積極的な姿勢で国際的事務に参与して、共にグローバルな挑戦に対応し、世界の平和、発展、進歩のためにより大きな貢献をしよう。

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