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進化する中国の安全観

発表時間:2015-03-10 | 字体拡大 | 字体縮小

著者:吉田 陽介 | 出所:

 改革開放30余年、中国経済は発展を続け、いまやGDP総額では日本を抜いて世界第二位に躍り出ている。2012年に発足した習近平指導部は、「中国の夢」を協調して国内の結束を図るとともに、外交面でも活発な動きを見せつつある。その中で、日本の一部の右寄りの人々は、「中国脅威論」をさらに強調するようになった。

 この脅威論には、経済的な要素ばかりではなく、軍事的なそれも含まれている。これは20世紀社会主義の歴史的教訓も大いに関係していると思われる。

 ソ連は社会主義国であったが、時代が進むにつれてその理念が徐々に薄まり、社会帝国主義的な対外拡張に陥った。中国の脅威を強調する人々は往々にしてソ連社会主義もしくは北朝鮮の社会主義、改革開放前の中国社会主義とを同一視している。それゆえ、中国の軍事費増額=対外拡張という図式を描くのである。ただ、中国は極「左」思想によって外交が歪められた時期は別として、体制の異なる国々との平和共存を模索しており、現在も基本的にそのスタンスである。安全面においては、「新安全観」を提唱し、冷戦思考を排した安全保障体制の確立を模索している。ここでは、社会主義国の安全に関する見方を簡単に振り返り、中国の安全観はどの方向にいくか考えてみたい。 

 一、過去の社会主義国の安全観

   1、レーニン、スターリンの安全観について

 20世紀社会主義国は、「戦争と革命の時代」という背景の下で社会主義建設を行っていったが、そこは試行錯誤がみられた。ここでは安全面に焦点を絞って述べる。1917年に革命が勝利したソビエト・ロシアは当初ドイツ革命に期待を寄せていたが、結局のところ革命が起こらず、帝国主義国の包囲のなか、一国で社会主義建設を行わざるを得なかった。ボルシェビキの指導者レーニンは『帝国主義論』を著し、帝国主義段階にある現在は戦争は不可避という認識にあった。

 干渉戦争と内戦が一段落すると、レーニンは国内の社会主義建設に目を向け、共産主義社会の直接的移行を目指した戦時共産主義経済から市場経済を導入した新経済政策(ネップ)に路線転換した。その際、レーニンは一時的な平和の時期、いわゆる「息つぎ」の時期がきたとして、帝国主義国との「平和共存」策を模索するようになった。

 「平和共存」政策は国内の経済建設のために外国の力を借りる目的もあったが、平和共存を進めることで、ソビエト・ロシアの安全を確保するという狙いもあった。1922年に開かれたジェノバ会議でレーニンは軍備の縮小を訴えている。

 スターリン時代になると、急速な工業化により、ソ連は世界でも指折りの強国となった。対外面ではレーニン時代に創設されたコミンテルンを通じて、世界各国共産党の団結を促し、社会主義世界を形作っていった。1940年に独ソ戦が始まると、「ソ連防衛」が各国共産党の目標として、反ファッショ闘争を呼びかけ、自国の安全を守ろうとした。

 スターリンは1930年代に大恐慌により資本主義は崩壊の危機にあるという資本主義の全般的危機論を主張していたが、戦後は「資本主義世界の全般的危機論」に変化した。そのため、19462月に演説を行い、資本主義世界と社会主義世界との共存は不可能と表明し、社会主義世界の中での安全保障を目指したのである。冷戦初期は資本主義陣営と社会主義陣営に分かれて、互いに敵対していた。この当時、日本国内でも保守勢力と革新勢力という構図ができ、国内冷戦となり、保守勢力は共産主義勢力の拡大を食い止めようとした。冷戦時代は基本的に社会主義世界と資本主義世界とは相容れないと考えられていたため、社会主義に対するイメージも悪いものとなったのである。

 2、毛沢東、鄧小平の安全観について

 次に中国の安全観についてみていきたい。中国共産党の理論は毛沢東、鄧小平の理論を受け継ぎ、発展させている。ここでは新中国建国の立役者である毛沢東、鄧小平の安全に関する見方についてみていきたい。

中国において革命運動が繰り広げられていた当時は、「戦争と革命の時代」であった。19世紀末より、世界は帝国主義段階に入り、中国も半植民地国家となった。当時の知識人にとって「中国の改造」は大きな問題であり、次第に革命が必要という結論に達す。こうした背景もあり、毛沢東は中国革命を指導する過程において革命戦争という言葉をよく使った。

当時の国際共産主義運動は、ソ連共産党の理論が世界共産党がとるべき総路線としており、レーニン・スターリン考えが絶対視されていた。そのため、中国共産党も同じ立場に経っていた。毛沢東は中国独自の路線を目指したが、戦争については、レーニンのように戦争の根源は帝国主義にあり、それが存在する限り戦争はなくならないという立場に立っており、平和の実現には、革命戦争が必要であるという考えであった。毛沢東は戦争には「非正義の戦争」と「正義の戦争」の二種類があると考えており、世界平和を実現するのは後者の戦争であるとしていた。毛は「もしも正義の戦争の旗じるしをかかげないなら、人類の大多数はふみにじられてしまう。人類の正義の戦争の旗じるしは、人類を救う旗じるしであり、中国の正義の戦争の旗じるしは、中国を救う旗じるしである」と述べており、その正義の戦争こそが革命戦争であった。この毛沢東の考えを今風に解釈すると、侵略戦争が「非正義の戦争」、自衛の戦争が「正義の戦争」ということになる。

毛は自らの戦争に関する認識を基本的に建国後も変えることはなかったが、平和勢力である社会主義陣営が発展すれば、戦争は避けられるとしていた。毛はにロシア革命40周年大会に出席したとき、演説を行い、その中で「東風が西風を制する」という言葉を述べた。これはつまり、社会主義世界の拡大が資本主義世界の拡張をおさえるという、一種の勢力均衡の考え方である。

だが、資本主義世界との「平和共存」を主張するフルシチョフと毛の戦争と平和の認識にはズレがあった。中ソ両党の意見の食い違いが大きくなるにつれ、毛沢東は「第三次世界大戦は不可避」という考えになってき、それ以降中国は一国での安全保障を目指すことになる。そういうこともあり、中国は核兵器を開発したり、「三線建設」を行ったりして戦争に備える体制をつくったのである。

 文化大革命が終息し、鄧小平がカムバックした当時は、国内経済は長年の階級闘争によって国内経済がガタガタであったために、経済建設が急務であり、外国の力を借りる必要があった。当時の国際関係の改善も手伝って時代認識の転換がなされた。これまでの「戦争と革命の時代」を「平和と発展の時代」とし、資本主義国との平和共存を行うことを言明した。戦争についても世界大戦は長い期間起こりえないとし、「第三次世界大戦は不可避である」という毛沢東時代の時代認識の是正を行った。鄧小平は、「中国は永遠に第三世界の側に立つ」といったことや、「中国は覇を唱えない」といった現在の中国の安全観の基礎になっている原則を打ち出した。

 ただし、「強権政治と覇権主義は依然として存在している」として、完全に帝国主義に妥協するという姿勢ではなかった。そして、平和実現のためには、革命戦争を用いるのではなく、国際関係のルールにのっとって実現するというように変わった。

 このように、鄧小平が安全観を転換させたのは、まず第一には、社会主義建設の路線を「階級闘争を要とする」から「経済建設を要とする」路線に切り替え、国内建設に役立つ環境づくりの必要性からであった。これはレーニンがネップ政策を行った当時、対外開放を模索したことに似ている。

 第二に、国際環境の改善が挙げられる。毛沢東時代は冷戦の真っ只中にあり、中国の周辺地域は不安定な状態にあった。例えば、1958年には金門島で国民党軍と衝突し、アメリカの脅威もあった。そのため、中ソ論争当時、ソ連の認識とずれがあったのは、やむをえないことであった。

 第三に、国際共産主義運動の影響があった。毛沢東時代は社会主義陣営が存在し、世界の共産党が堅持すべき総路線があった。スターリンの「資本主義の全般的危機論」の影響もあり、資本主義勢力に対抗するために社会主義勢力が団結するという考えが根強かった。イデオロギーの面でも自由度がなく、資本主義国との接触は、社会主義の道を外れた修正主義だとされた。

 ただ、中ソ論争後、国際共産主義運動が分裂し、各党は自主独立の道を歩むようになり、中国も資本主義国との平和共存を行うことが可能になってきたのである。

 以上のように、中国は「与時倶進(時とともに進む」という信条であり、自らの理論を時代に応じて変化させている。覇権主義反対は毛沢東の帝国主義反対の延長線上にあり、資本主義国との協調はレーニンの平和共存論、周恩来の「平和共存五原則」の発展であった思われる。 

 二、中国の新安全観

 冷戦終結後、二大陣営による対抗状態は姿を消し、これまでの安全観も見直す余地が生まれてきた。スターリン式の安全観に沿って考えると、資本主義世界と社会主義世界は共存不可能であるため、互いに猜疑心を持ち、相互信頼を基礎においた関係を構築することはできない。そのため、中国は「互信、平等、協力」を柱とした新安全観を打ち出すことになる。

中国が提唱する新安全観の大きな特徴は冷戦思考を排除し、相互信頼を基礎において互いの紛争を武力ではなく、話し合いによって平和的に解決することを旨とする。江沢民国家主席は1995年に国連創立50周年記念総会特別会合で演説を行い、「平和は全世界の人民が最も必要としているものであり、平和がなければいかなる建設事業についても話すことはできない。国家間の紛争については、交渉や話し合いを通じて平和的に解決し、武力あるいは武力による威嚇に訴えるべきではない」と述べ、武力の使用、威嚇による安全の確保に反対した。

2000年に開かれた国連ミレニアム・サミットでの演説では「冷戦思考を徹底的に放棄し、信頼・互恵・平等・協力を柱とする安全保障観を打ち立てるべきである」と述べ、相互信頼を基礎に置いた安全観を築くことを強調した。

 また、これまでの安全観は軍事的安全を重視し、軍事条約も重んじた。これに対し、中国政府は「いかなる軍事同盟にも属さない」という態度をとった。

  第二の特徴は、軍事的安全のみならず、経済安全、文化安全、エネルギー安全など非伝統的安全をも強調しているという点である。冷戦時代は、戦争が起こる危険性が十分あり、軍事的安全を追求する伝統的安全を守ることが重要であった。そのため、社会主義国は帝国主義戦争の危機はまだ去っていないいう認識のうえに軍拡を推し進めたのである。

 だが、現在は「平和と発展の時代」であるし、90年代終わりから進んできている経済のグローバル化は国境という概念を希薄にし、世界的課題に各国が国境を越えて取り組むようになってきているので、非伝統的安全をめぐる協力がますます重要となってくる。

 第三に、国際協調路線をとって、世界の平和を実現するという点である。中国は改革開放政策をとって以来、飛躍的な経済発展を遂げ、それにともなって国際的地位も上がってきた。中国は国際舞台で国際協調の態度をとり、国連の活動に積極的に参加してきた。胡錦濤時代は、国際和諧社会の建設を目指し国際協調の態度をとった。そして、紛争については国連での話し合いによって解決するとしている。

 中国が新安全観した背景には、中国の改革開放政策が92年の鄧小平による「南巡講話」から加速し、毎年二ケタの経済成長を遂げ、中国の国際経済、国際政治上の地位が高まってきたことがある。改革開放のさならる深化のためにも安定した国際環境はぜひとも必要であった。

 前述のように、中国は第三世界の利益を代表するという立場にたっており、中国が国際規模での取り組みに加わり、途上国の地位を向上させるためには安定した国際環境が必要であった。そのため、中国はこれまでの安全観を転換させ、新安全観を提起したのである。

 また、理論的にいえば、社会主義国というのは戦争の根源たる帝国主義へのアンチテーゼとして生まれたものであり、その理念は「反戦平和」である。20世紀社会主義国は確かに核兵器を保有したが、それは帝国主義国に対する抑止力であり、先制使用は行わないとしていた。中国の安全観も曲折はあったものの、基本的には、保有している武力は「防御的」なもの、平和的発展を堅持するとしている。社会主義国は理論の国であり、イデオロギーは大変重要である。中国は今後もこの路線を守りぬくことが予想される。 

 三、習近平指導部の安全観

 日本メディアは習近平政権発足後、「中国の夢」を唱え、それを外国を訪問したときも強調したことにより、これまでの国際協調主義的路線から民族主義的路線となり、また軍と協調的姿勢をとり、軍拡路線に進むのではとみていた。

 確かに当初は、習政権の外交姿勢がはっきりとみえなかったために、大国主義外交へ進むのではという憶測されたが、それは外交活動が進むにつれ、そうとは言い切れなくなった。昨年10月に開かれた周辺外交工作座談会では、近隣諸国との関係を重視することが謳われ、「親、誠、恵、容」の精神を打ち出し、周辺諸国との協調的姿勢をとった。

 実は、中国の新安全観は、周辺諸国との関係を念頭においたものであり、相互信頼を基礎に置いた集団安全保障体制を周辺諸国と構築することを目指したものである。

 習政権の安全観については、5月に上海で開かれたアジア信頼醸成会議で明らかになったといえる。その特徴は第一に、他国との協調性を強調しているという点である。習氏は演説の中で、一国のみが自国の安全を追求したために、ほかの国を犠牲にすることがあってはならないとし、すべての国は等しく地域の安全に関わる問題の解決にかかわることができるとしている。

 第二は、安全というのは総合的なものであるという点である。これはこれまでの安全観でもいわれていきたように伝統的安全観と非伝統的安全観を重視しなければならないということである。習氏はさらに「アジアの安全問題は複雑であり、ホットな問題、敏感な問題もあれば、民族・宗教の矛盾、テロリズム、国境を越えた犯罪、環境安全、サイバーセキュリティー、エネルギー資源安全、大きな自然災害がもらたした試練も明らかに増えており、伝統的安全の脅威と非伝統的安全の脅威が織り交ざっている」と述べており、安全の概念は広がっていることを指摘している。

第三に、周辺諸国と集団安全保障体制をつくる可能性を示したことである。習氏は演説の中で、「アジアのことはアジアの人たちに頼ってやる」と述べたが、これはアメリカに対するけん制の意味もあるが、一部の日本のマスコミが報じたように、中国中心主義になったことを意味しない。その後に「アジアは開放されたアジアである」といっているし、中国が頭になるとか、指導するとかいう文言は一切見当たらない。これは今までの新安全観の精神を継承したものである。

このように、習氏は安全問題において他国との協調を目指すことを表明しているが、その一方で「われわれは平和的発展の道を堅持しなければならない。しかし、決してわれわれの正当な権益を犠牲にしたり、国の核心的利益を犠牲にしてはいけない」と述べており、安全面での最低ラインを守り抜き、それを侵すものには毅然とした対応をとることを暗示している。これは、領土問題で中国が毅然とした態度をとったことからわかるであろう。

 習政権は当初言われていたように、国家主義にははしらず、周辺諸国との協調的姿勢をとり、中国外交のよき伝統である「平和共存五原則」の精神をもとにした外交、そして安全保障体制を築こうとしている。 

 四、日本はどう向き合うか

 中国の安全観は「時とともに進む」ものであり、過去への後退はありえない。日中関係がぎくしゃくしているなか、習氏は歴史問題で暗に批判することはあっても、こと安全問題に関する講話を見てみても、日本を暗に批判する言葉は見当たらない。これに対し今後、日本は中国とどう向き合っていくか、いくかの提案をしたいと思う。

 第一に、冷戦思考に基づいた安全観ではなく、周辺諸国との相互信頼を基礎にした「集団安全保障」体制を目指すべきである。戦後日本はアメリカの傘の下で、安全を確保し、経済発展に力を入れてきた。冷戦時代は、ソ連、中国などの社会主義陣営の脅威から国を守るという名目で日米安保体制を維持してきた。しかし、冷戦構造が崩れた現在、旧社会主義陣営に属していた国々は脅威とはなりえず、これまでの安全保障を見直す余地が出てきた。現在も日本は中国に対する見方が厳しい。これは様々な原因があるが、体制の違いというのも大きい。日本は冷戦時代、国際共産主義勢力の影響力の拡大を抑えるために、国内では反共政策を実施した。その影響もあってか、冷戦思考を抜け出せないでいる。今後、北東アジアに集団安全保障体制を確立するならば、冷戦思考から脱却し、新たな思考でもって中国と向き合う必要がある。

 第二に、力の論理に基づいた外交政策から転換すべきである。これまでの世界は、パワーポリティックスを基礎においた国際関係であり、各国は力の均衡を重視する。冷戦時代はまさにパワーポリティックスに基づいた世界であった。冷戦構造が崩れた現在も基本的にこのような考えが保守主義者には根強い。パワーポリティックスの考え方は、文字通り「力と力のバランス」であり、いわば「対抗心」をもとにした国際関係であるといえる。現在の日本も基本的にパワーポリティックスの考えに基づいた安全保障政策であり、中国の一部の識者も同様の態度をとる。安定的な安全保障体制の確立には、相互信頼に基礎をおいた安全保障政策が必要である。

 第三に、現在の中国の対外政策と過去の社会帝国主義と一線を画し、「社会主義=悪」という先入観のみで中国を見ないことである。社会主義国は本来、プロレタリア国際主義を堅持し、世界の恒久平和を願うことを旨とするが、第二次世界大戦、東西冷戦を経験していくなかで、社会主義国の対外政策は変化し、徐々に社会帝国主義的ものへと変化した。それはソ連のチェコスロバギア侵入、文化大革命期の中国の革命路線にみられる。階級闘争を重視した路線をとっていた中国は改革開放に舵を切り、以前のような革命輸出を主な任務とするプロレタリア外交路線をとっておらず、国際協力を主とする外交路線をとっており、以前のスターリン主義的外交路線とは異なる。

ただ、日本は歴史的に反共産主義的土壌が強いため、社会主義、共産主義については、かつての暴力革命、プロレタリアート独裁といったイメージが強い。中国もまだ未来の社会主義像についてまだ模索中であり、確固たる社会主義像がないため、以前のイメージの払拭がぬぐえていないのであるが、これについては今後世界の左翼勢力の模索に期待するしかないであろう。少なくとも日本は現時点での中国はかつてのそれとは違うことを明記する必要があろう。

 第四に、非伝統的安全の面での日中の連携は急務であるということである。先ほども述べたように、現在、国家の安全は何も伝統的安全さえ保障されれば十分ということではない。現在、日中間には食の安全、環境など共同で取り組むべき課題がある。特に環境問題への取り組みは他国にも影響を及ぼすため、一国の枠組みで取り組むのではなく、多国間での取り組みが必要となる。経済面においても然りで、金融面でのセーフティーネットの構築は多国間で取り組まなければならない。そのため、日中間は非伝統的安全の分野で連携を強めるべきである。

現在、日中両国は、両国関係の構造的問題である歴史問題、領土問題で対立し、相互信頼をもとにした安全保障体制を確立できないでいる。日中両国、特に日本は長期的視野に対中関係を考えるべきである。

 

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