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鄧小平はどうのように歴史の新時期を切り開いたのか

発表時間:2014-10-21 | 字体拡大 | 字体縮小

著者:李洪峰 | 出所:『党の文献』2014年第4号

  要約、わが国の改革開放と社会主義現代化建設の総設計士として、鄧小平は改革開放の歴史の新時期を切り開いた。改革開放の偉大な歴史の過程を推し進めた過程において、鄧小平は戦略思考、戦略的判断、戦略設計、戦略方策をおこなった戦略家の風采を十分に現れた。党の実事求是という思想路線を改めて確立し回復することは、鄧小平が歴史の新時期を切り開いた戦略的スタートであった。鄧小平が国内外情勢の大きな変化を深く研究したうえ、わが国がいまやなお長期にわたって社会主義初級段階にあり、平和と発展が現代世界の二つ大きな問題という二つの重要な戦略的判断を下すとともに、これをふまえて一連の影響の深い戦略方策を行い、その中を貫いたのは社会主義と共産主義事業への信条である。鄧小平は指導活動に原則性、系統性、予見性、創意性がなくてはならないと提起した。これは鄧小平が指導活動についての法則性に関する認識であり、その指導の姿勢の本質的特徴である。

  鄧小平氏の一生は、三度失脚し三度復活した。鄧小平氏は三度目に復活し、一生の事業のピックに達し、中国の改革開放の新たな歴史的時期を切り開いた。改革開放を推し進めた偉大な歴史過程を振り返って、その戦略思考、戦略判断、戦略設計、戦略方策、戦略家の風采を理解することは、全面的な改革を深め、引き続き改革開放と社会主義の現代化建設事業を推し進めるうえで、重要な意味がある。

  一、戦略的スタート、思想路線問題の解決から着手する

  「文化大革命」十年の動乱にっより招来した深刻な災難により、わが党、国家、民族が重い代価を払った。「左より」の誤りはもう引き続いてはならなくなり、必ず混乱を収拾し秩序の回復に努めなければならない。

  鄧小平氏は危急存亡の瀬戸際に命令を受けた。登場する次第、偉大な戦略家としての遠大な見識を示した。百業の復興が待たれ、多くの事業が興すべき複雑な情況に面し、邓小平が複雑入りこんだ中でまず肝心的かつ決定的な一環を捉え、思想路線問題の解決に着手した

  実事求是の思想路線を改めて確立し、回復させること、これは鄧小平が新しい歴史的時期を切り開いた戦略的スタートであった。事実に即して真実を求めること、これはわが党が客観的世界を正しく認識する思想路線であり、わが党が客観的世界を正しく改造する思想路線でもある。中国革命の過程が十分に立証したように、実事求是の路線があってこそ、わが党は農村によって都市を包囲するという中国革命の道を切り開いた。実事求是があってこそ、わが党は武装闘争、統一戦線、党建設という三つの宝器をみつけた。実事求是があってこそ、わが党は中国革命の性質、対象、動力、前途と転換などの一連の根本問題を正しく解決した。実事求是があってこそ、わが党が正しい政治路線、軍事路線、組織路線を確立した。実事求是があってこそ、わが党はプロレタリ階級の人数がかなり少なかった、農民が人口の圧倒的多数を占める半植民地半封建社会の中にでマルクス主義のプロレタリ階級の前衛部隊を作り上げた。実事求是があってこそ、わが党はマルクス主義の中国化を勝利裡に実現し、毛沢東思想を創立し発展させた。実事求是があってこそ、わが党は数え切れない困難と障害に打ち勝ち、前進途上の誤りと挫折を克服し、経験と教訓を正しく総括し、全党と全国人民を結集し、成功裡に勝利から新しい勝利に向かって前進し続けた。実事求是の思想路線でで党と人民を武装したら、中国革命の広い道につながった。

  わが党の執政後、生じた様々な誤りと偏向か、特に「文化大革命」のような全局的な誤りが、多方面にわたった複雑な原因があり、しかし根本的に言えば、いずれも党の実事求是の思想路線からそれたことに関わっているのである。

  1976年「4人組」を粉砕し、全党や全国人民が喜びに躍り上がっていた。しかし「2つのすべて」の誤った主張が、依然として人民の思想を束縛していた。真理を検証する標準という問題の討論は「二つのすべて」の障害を取り除いた。真理を検証する標準の問題に関する討論を支持し、推し進めるために、鄧小平は2年だらずのうちに、26回も談話、演説を発表し、実事求是の根本な道筋を繰り返して詳しく述べた。 

  鄧小平はずばりとはっきり指摘し

  、「二つのすべて」が駄目で、マルクス主義ではなく、毛沢東思想ではない。マルクス、エンゲルスは「すべて」と言ったことがなかったし、レーニン、スターリンは「すべて」と言ったこともなく、毛沢東同志は自分で「すべて」とも言ったことがなかった。毛主席の一語や二語を以って毛沢東の思想体系を損なってはいけないし、毛沢東思想をいうと、毛主席の話を多くの引用することにあるのではなく、その根本思想を発揮することにある。

  鄧小平は一段と踏み込んだ指摘し、われわれは必ず世々代々にわたって正しい系統的な毛沢東思想を以ってわが全党、全軍と全国人民を指導しなければならない。山積した問題の中から長期的な、根本的な問題を解決するものを探し当てなければならない。実事求是は毛主席が言ったものであり、マルクス主義の態度である。この一項目が分かれば、希望がもてるようになる。実事求是が毛沢東思想の根本的な態度、根本的な観点、根本的な方法である。実事求是はマルクス・レーニン主義の哲学的概括であり、マルクス・レーニン主義理論、マルクス・レーニン主義の方法を概括したものである。われわれは毛主席のわれわれのために培った優らたと作風を受け継ぎ発揚すべきだと言っているが、その第一義が実事求是である。毛沢東思想の最も根本的な最も重要なものは実事求是である。

  鄧小平は次のことを繰り返し強調し、われわれが必ず毛沢東のわが党のために確立した大衆路線、実事求是、批判と自己批判、謙虚かつ慎重で、おごりやあせりのない優れた伝統と、民主集中制の優れた伝統と作風を回復し発揚しなければならない。現在、われわれの前に横たわっている問題が、その肝心なことがやはり実事求是と実際と結び付け、全て実際から出発することである。全て実際から出発してこそ、われわれの事業に希望が持てるのである。理論と実際を結び付けることは、実際から出発して、実践した経験を総括することである。実践は真理を検証する唯一の基準であり、これはマルクス主義である、毛主席がよく述べたことである。毛主席はいつも頭を働かせ、機械を動させることを提唱していた。世界は毎日変わっており、新しい物事は絶えず現れていて、新しい問題は絶えず現れ、われわれが門を閉ざしては駄目で、頭を使わないなら、永遠に立ち後れるに陥っては駄目である。事実に即して真実を求めて、頭を動かして、革命をしなければならない。

  1978年12月13日午後、鄧小平は中央活動会議の閉幕にあたって「思想を解放し、実事求是の態度をとり、一致団結して前向きの姿勢をとろう」の重要演説を発表した。この演説は実にまもなく開催した党の第11期3中総のテーマ報告であった。この重要演説の中で、鄧小平は実事求是と思想解放を結び付け、結合し、思想解放の問題を集中的に詳しい論述した。鄧小平は思想の解放は現在の重要な政治問題である。思想を解放し、実事求是の態度をとり、一致団結し前向きの姿勢をとろう、まず思想を解放することである。ある党、ある国家、ある民族は、もしもすべて書物から出発し、思想が硬直化し、迷信が盛んに行われるなら、それは前進することはできなくなり、その生命力はが止められて、党が亡くなり、国が滅びてしまう。

  鄧小平はどうして特に思想の解放を強調したかというと、その時の歴史条件下にあって、思想の解放は実事求是の政治的前提となったからであった。思想を解放するという政治的前提がなければ、或いはこの政治的前提が不十分で不徹底的であるなら、実事求是はまったく話にならない。思想を解放しなければ、混乱を収拾し、「文化大革命」の誤りを是正することができない。思想を解放しなかったなら、「階級闘争をかなめとする」誤った表現を廃止することがあり得ず、全党の仕事の重点戦略的転換を実現することができない。思想を解放しなかったなら、歴史的経験を正しく総括することがあり得ず、毛沢東同志と毛沢東思想の歴史的地位を科学的評価し、真に毛沢東思想の偉大な旗幟を高く差し上げることができない。思想を解放しなかったなら、改革開放の新しい路線・方針・政策を実行することがあり得ず、社会主義現代化建設の新局面を切り開けることがあり得ず、改革開放の新しい歴史的時期を切り開けることができない。思想を解放しなかったなら、国際情勢と世界のテーマに起こった大きな変化を正しく判断することがあり得ず、新しい国際戦略を制定することはできない。

  実践が証明したように、鄧小平は党の思想路線問題を捉え、混乱収拾と全面的な改革の肝心なところを捉え、、党、軍、人民の心が結集する根本を捉え、党、国、軍を治める全局面を捉え、それを引き金として動かせば全般に及んで、全党が急速に受身から主導的な立場に転じた。党の思想路線の混乱収拾は、偉大な思想の解放運動となり、混乱収拾全体の先導となり、改革開放と現代化建設の先導にもなった。

  二、戦略方策、新時期の開拓、新事業と新しい道

  鄧小平は党の第11期第3回中央委員会全体会議以来の路線、方針、政策を制定し、形成した過程において、わが国の改革開放の一連で重大な方策を形成し、制定した過程において、取って代わることのできない決定的役割を発揮した。鄧小平は何度も強調したように、われわれはすでに改革開放と現代化建設の新しい歴史的時期に入り、われわれがやっているのは全く新しい事業であり、われわれは中国の特色ある社会主義の道を歩み出している。鄧小平が指導し、促進した下、改革開放はわが国の経済生活、政治生活、文化生活と社会生活のテーマとなり、新しい時期の最も鮮明な特徴となり、影響が深遠で偉大な革命となり、社会主義の自己改善、自己発展の強大な原動力となった。

  鄧小平は時機と情勢を見極め、判断するに長じる偉大な政治家である。20世紀80年代前後、鄧小平善は冷静に国際情勢と国内情勢の大きな変化を観察し深く研究し、国内外の大局について2つの影響の深遠な重要な戦略判断を下した。

  国内の大局について、鄧小平はわが国がいまやなお長期にわたって社会主義初級段階にあり社会主義初級段階にあるという重要な戦略的を判断を下した。鄧小平は「社会主義そのものは共産主義の初級段階ですが、わが国は社会主義の初級段階、つまり未発達の段階にあります。何事もこの現実に立って、この現実に基づいて計画を立てなければなりません」。その後、南部視察談話の中で、鄧小平は更に踏み込んで述べ「建国の時から百年の時間をかけて、わが国を中程度に発達した国に築きあげたとしたら、それは大したものだ」社会主義初級段階、これは中国の最大の国情、最大の実際であり、新しい時期にわが党のすべての活動の根本的な出発点と立脚点である。

  国際の大局について、鄧小平が平和と発展が現代世界の2の大きな問題であるという重要な戦略的判断を下した。鄧小平は「今世界で真に大きな問題、グローバルな戦略問題が、1つが平和の問題であり、もう1つは経済問題或いは発展の問題と言ってよいのである。平和の問題は東西問題であり、発展の問題は南北問題である。まとめると、東西南北の4つの字である。南北問題は核心問題である」と述べた。後に、わが党は更に「2大問題」をまとめて「2大テーマ」とし、それをふまえて「重要な戦略的チャンス期」という理論をうち出した。これはわが国が改革開放を実行し、現代化建設を進める国際環境と外部条件である。わが国の重要な戦略的チャンス期を正しく捉え、運用し、自らイニシアティブを取り、プラス面を生かして、マイナス面を避け、才能を隠し時を待ち、やるべきことをやること、これは中国の特色ある社会主義の偉業を推し進め、中華民族の偉大な復興の中国の夢を実現する上で、極めて重要である。

  この2つの重要な戦略的判断をなした前提と基礎をふまえて、鄧小平は一連の影響の深遠な戦略方策を作り出し、そのなかに、全党の活動重点の戦略的転換、「3段階で進む」戦略目標の確立、「1つの中心、2つの基本点」の基本路線の制定、内政・外交・国防・党・国・軍の統治(ガバナンス)、経済・政治・文化・社会・党建設などの各方面の一連の方針と政策・方策、大学入試の回復、農村の農家生産連動請負責任制の実施、一部の地域で一部の人々が先に豊かになり、ますます多くの地域の人々がだんだんに共に豊かになることの促進、経済特別区の創設、対外開放の基本国策の確立、「863」計画の実施、実事求是の思想路線の回復、真理の標準問題の討論の推進、毛沢東同志と毛沢東思想への科学的評価、冤罪(えんざい)・でっち上げ・誤判事件の誤った決定の是正、幹部隊列の革命化・若年化・知識化・専攻化の方針の実行、「両手とも力を入れる方針の提起、制度整備と民主・法秩序建設の全党に際立たせること、百万兵員削減、「一国二制度」方針の提起、香港・澳門問題の解決などがある。この一連の戦略方策は、力強く改革開放の歴史過程を推し進めた。

  特にいうべきは、鄧小平は改革開放を推し進めた歴史的過程において、3つの重要な歴史の節目を押さえ、「どんな荒波が立っても、釣り船に穏やかに坐る」、わが国の改革開放と社会主義現代化建設の船を引率し、風波を乗り越え、勝利に向かって前進する。

  最初に重大な歴史の節目は、1978年党の第11期第3回中央委員会全体会議の前後であった。その時の中国は、きわめて複雑な局面に直面していた。鄧小平はいち早く全党に「思想を解放し、実事求是の態度をとり、一致団結して前向きの姿勢をとろう」とい戦略的呼びかけを打ち出した。党の第11期第3回中央委員会全体会議が首尾よく召集し、改めて党の実事求是の思想路線を回復、確立し、全党の活動重点を「階級闘争をカナメとする」ことから「経済建設を中心とする」への戦略的転換を実現し、党の第2世代の中央指導グループの核心的地位を確立した。ある同志は思って、第11期第3回中央委員会全体会議の意義は43年前の遵義会議よりも高いと認めていた同志がいるが、これは筋道に合っている。この2回の会議は異なった歴史的時期にあったが、根本的な共通点があり、実質的に毛沢東と鄧小平の全党にある指導者地位をそれぞれ確立し、わが党が深刻な挫折から新しい勝利への偉大な転換を実現した。

  2つ目の重大な歴史の節目は、1989年北京で生じた政治的波風を静めた。鄧小平は全党を指導して思いきって政治的波風を収束させた。1989年6月9日、鄧小平が首都戒厳令部隊軍長クラス以上の幹部を接見した際の重要演説の中で、情勢を科学的に分析し、党の第11期第3回中央委員会全体会議の制定する路線、方針、政策が揺るぐことなくを堅持し、「3段階で進む」戦略目標を揺るぐことなく堅持し、党の第十三回代表大会の概括した「1つの中心、2つの基本点」揺るぎなく堅持し、重大な歴史の瀬戸際に、中国がどんな旗を挙げ、どんな道を行き、どんな方向に前進するという重大な問いかけに鮮明に答え、大局を安定させて、更に改革開放戦略を固める決意し、中国の改革開放をするイメージを確立した。

  3つ目の重大な歴史の節目は、1992年初であった。鄧小平は南部を視察したのは、確固として党の「1つの中心、2つの基本点」という基本路線を貫き、揺るぐことなく中国の特色ある社会主義の道を歩み、確固としてチャンスをしっかりつかんで、改革開放の足取りを速め、力を集中して経済を向上させるなどの一連の党と国家の前途の運命に関わる重要な問題について、深遠な意味を持つ重要な談話を発表した。これは集大成した談話であり、鄧小平理論の主要点をまとめ、思想を解放し、実事求是の新しい宣言であり、「左寄り」と右よりの妨害を排除し、わが国の改革開放と社会主義現代化建設を新しい発展段階まで進めた。

  三、戦略的指導、鄧小平の指導する風格の本質的特徴

  鄧小平は戦略家として、その指導した取り組みは遠い遠大な展望に立って、重責をも平然に全うし、足を地に着けて努め、机上の空論を好まず、旗幟鮮明で、勇敢に責任を担い、柔らげに原則性をたもち、波瀾万丈でも驚かずに安定しており、全党、全軍と全国各民族人民の高い信頼と愛護を勝ち取った。鄧小平の指導活動を貫いたのは、社会主義と共産主義事業に対する信条であった。確固した信条は、鄧小平のすべての実践と理論の基礎であり、鄧小平の指導する風格の基礎であった。

  鄧小平は党の優れた伝統を語った時、かつて「毛沢東同志が提唱した作風、大衆路線と実事求是はこの2つは最も根本的なものである」と、鄧小平は偉大な輝かしい一生の中で、終始一貫して堅持したのも、この2つの最も根本的なものであった。大衆路線と実事求是は、鄧小平の指導する風格を2つの基本点である。

  1985年9月23日、鄧小平は中国共産党全国代表大会における演説の中で次のように提起し「いま、われわれは中国の特色を持つ社会主義を建設するのであり、時代と任務が異なるので学ぶべき新知識も確かに多い。したがって、われわれはこれまで以上に、新しい実際状況に狙いを定めて、マルクス主義の基本的理論の習得に努めなければならないのだ。それでこそはじめて、われわれはマルクス主義の基本原則と基本方法を運用して、政治・経済・社会・文化の新しい基本問題を積極的に模索し、解決するための能力を高めることができるからである。それでこそはじめて、われわれの事業とマルクス主義理論そのものを発展させることもできれば、また一部の同志、わけても新たに抜てきされた一部の青壮年の同志を、日増しに複雑化する闘争の中で方向を見失わないよう導くこともできるからである」。したがって、鄧小平は次のように提案し、「全党の各級幹部、まず指導幹部が、いかに繁忙な仕事の中でも、一定の時間を学習にあてて、マルクス主義の基本的理論に精通し、それによってわれわれの活動の中の原則性、系統性、予見性と創意性を強めるよう党中央が確実に実行可能な決定を行うことを」。

  ここで提起した活動「4性」とは、鄧小平は指導活動の法則性に対する認識であり、全党に対する要求であり、自ら長期にわたる指導的実践に対する理論的総括である。原則、系統性、予見性と創造性、は鄧小平の指導風格の本質的特徴である。

  原則性、これは鄧小平の思想風格の魂である。指導活動といえば、原則性は第一義である。原則性がないなら、指導とは言えない。鄧小平は20世紀30年代初期から共産主義運動に身を投じ、紆余曲折にたどって、何度も革命事業の艱難を経験し、70年余りの革命生活の中、ずっとマルクス・レーニン主義、毛沢東思想の信念を固め、あくまでも社会主義と共産主義の信念を確信し、私心なく恐れるものもなく、不撓不屈で、粘り強い意志をもって、かんばってきた。確固とした立場で、信念はずっと揺ぐぎなく、原則性は動かなかった。毛沢東は小平が「うわべでは温和だが、内側には鋼鉄会社」、「柔らかみに強さがあり、綿のなかに針がある」と言ったのはその原則性に対してほめたたえである。鄧小平のこうした原則性は、新時期に「2つすべて」の束縛の除去や冤罪(えんざい)・でっち上げ・誤判事件の誤った決定の是正に勇敢に責任を受け持つことに見られるし、毛沢東同志と毛沢東思想の歴史的地位の回復の大きな知恵と勇さに見られている。農村の農家生産連動請負責任制の実施や経済特別区の創設、市場経済志向の改革など一連の重大措置の実施にも見られ、ブルジョア自由化の反対や1989年の政治的風波の沈静化、欧米の制裁の打破という果敢な行動にも見られている。確固として「1つの中心、2つの基本点」の基本路線の堅持や揺るぐことなく党の優良な伝統・作風の回復・発揚に見られ、国内の党、国、軍を治める偉大な実践の中で見られ、錯綜複雑な国際政治闘争の駆け引きにも見られている。どの角度から観察しても、鄧小平は原則を堅持する手本である。これについて、国外多くの学者は次のように指摘し、鄧小平は組織性の権威であり、党内と軍隊内において自ら小派閥をやったりしていなかったし、組織と制度で国、党、軍を治めることは鄧小平の指導する芸術の典型的な特徴である。

  系統性、これは鄧小平の指導の風格の主要な特徴である。国政運営、特にわれわれのような大党、大国の運営は、それ自体は巨大で精微なシステム工学である。鄧小平は戦略家であり、弁証法の優れた師である。鄧小平は指導活動の中で、全局面と大きな戦略的視角から問題を観察することを重視するとともに、物事の相互関連と相互作用の中で問題処理に長じている、これは鄧小平の考えと政策策定の重要な特徴である。鄧小平は肝心なところをつかみ、重点を捉えることに長じるだけでなく、全局面を統括し、全般を推し進めることにも長じている。ある外国の学者が述べたように「人類の歴史上、たぶんまたこのような社会がなかったし、毛沢東が亡くなった後、鄧小平が最高指導者となってから中国は、戦争、暴力革命あるいは経済の崩壊がまったくない条件の下、このような大きな全面的な改革を行った」。「鄧小平は中国の転換期の偉人であり、鄧小平によって中国が1つの時代から新しい時代に向かい、現代化に向うようになる」。鄧小平は理論と実際を結び付けることを非常に重視している。鄧小平は改革開放の偉大な歴史の過程を推し進める中で、卓越な理論的創造を行い、新しい時代の要請に適応し、毛沢東思想を踏まえて、一連の新しい思想、新しい観点、新しい論断をうち出し、鄧小平理論を創立し形成させた。鄧小平理論は毛沢東思想を直接継承し発展させたものであり、中国の特色ある社会主義理論体系全体の定礎とスタートしたものであり、統一と実践の統一、歴史と論理の統一、継承と発展の統一をしたものである。

  予見性、これは鄧小平の指導の風格の鮮明な特徴である。指導するには、予見しなければならない。予見がなければ、指導することができない。鄧小平は真実を求め実際を重んじる実務者であり、また深謀遠慮の思想家であり、特に指導幹部とりわけ高級幹部が視野は非常に広く、度胸は非常に広いものでなくてはならないと強調した。鄧小平は問題を考えると、いつも歴史、現実と未来を統一して考慮し、鄧小平の指導活動は、真実を求め、実務を重んじることと遠大な見識と統一したのであるから、常により高所に立って、より遠くまで見通し、より深く考え、いつも物事の本質を捉えることができる。「万世を謀らぬ者は一時を謀るに足りず、全局を謀らぬ者は一域を謀るに足りぬ」これは鄧小平の指導活動の中できわめて鮮明に見られた。たとえば、鄧小平が社会主義の発展に関する展望、農村に関する「2つの飛躍(①人民公社を撤廃し、農家生産連動請負責任制を実行する。②科学的栽培と生産の社会化の要請に応じて、適正規模経営を発展させ、集団経済を発展させる)の論断、わが国の現代化建設に関する「3段階進む」戦略目標、教育に関する「現代化に向け、世界に向け、未来に向ける」戦略方針、国際政治経済の新秩序を創立するに関する戦略構想など、いずれも実践の検証に耐えられ、長期にわたる指導的意義をもつ科学的予見であり、鄧小平の優れた戦略的眼識を十分示した。

  創造性、これは鄧小平の指導の風格の大筋であり、そのすべての指導の実践を貫いてきた。鄧小平はいつも単独で考え、盲従したことは一度もなかった。1938年、すべては弁証法的で、すべては変化し発展しているのであると言った。毛沢東は非常にこの話を鑑賞し、この話がすごかったのであり、マルクス主義の本質を捉えて、哲理に富んでおり、4、5年も続けざまにこの話を言及した。思想が活力にあふれることが鄧小平の性格の特徴一つであり、その指導の特徴の一つでもある。キッシンジャーは鄧小平に対してつぎのことを言った。「私は中国にはあなたより更に若い人がいることを知っているが、中国にはあなたより更に活力のある人がまだいるとはわからない」。あるロシアの学者は次のように鄧小平を評価し、「現実主義の態度で世界、生活に対応するのはマルクス主義の精髄であるから、鄧小平にとって、知識の源が絶えず変わる生活である。政治家の任務は発生している変化を真剣に考え、それに相応しい路線を制定することである」。

  鄧小平の一連で重要な方策と鄧小平理論の一連の思想・観点は、探求する勇気と創意的精神にとんでいる。70数歳の高齢にもかかわらず、全く新しい実践を指導し、全く新しい事業を切り開き、全く新しい理論を創立し、これは人類の歴史上、まれにない例である。

  原則、系統性、予見性と創造性は、この4者は切り離せないものであり、統一したのであり、孤立していないし、つながっているのである。空洞のものではなく、実際的なものである。それは中国共産党の執政の法則、社会主義建設の法則、人類社会の発展法則に対する深い認識と探求を具現している。実践は表明したように、人類社会の発展は、いつも低い段階から高級な段階へ、簡単から複雑へ、したがってそれは前へ発展していけば、発展するほど必然的に国家と社会の素質に対する要請がより高くなり、政権党の行政事務能力と指導水準に対する要請がより高くなる。したがって、思想方法の問題は必ずますます重要になり、精神状態の問題は必ずますます重要になって、世界観、人生観の問題は必ずますます重要になる。だから、鄧小平思想・理論、思想・方法と精神の風格を学び、時代、実践と科学が発展する足並みについて、絶えず資質を高め、境界を高め、レベルアップの上で力を入れ、世界観、人生観を正しく構築し、精神のあり方を正しくし、思想・方法を正しくすること、これは、いつまでも時代遅れにならないのである。

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