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なぜ中国で腐敗が蔓延するのか

発表時間:2012-09-14 | 字体拡大 | 字体縮小

著者:呉敬璉 | 出所:

  改革開放以来、中国は一貫して高度経済成長を維持してきた。最初の二十年間においてはGDPを四倍増大させる目標を上回った。しかし、高度経済成長と同時に、いくつかの社会矛盾が顕在化している。その中で、腐敗の問題がその深刻さをますます増しており、政府と国民から広く注目されている。中国共産党と政府は80年代にすでに腐敗の撲滅と廉潔な政治をスローガンに掲げ、近年、宣伝と教育、そして取締キャンペーンを強化してきたが、腐敗進行の勢いは衰えることがなく、解決のめども立っていない。腐敗の問題には深刻な社会的経済的問題が根源にあるに違いない。教育や取締という「対症療法」に終始し、問題の根源を断ち切ろうとしないのであれば、腐敗蔓延の勢いを抑制することは難しいであろう。

  現在の腐敗の現象は、実に多様な形をとっている。これを経済的な側面から見ると、主に三つの現象がある。第一は、行政が権力を悪用して市場活動に介入することで、レントシーキングを行うことである。第二は、移行期における財産関係の調整と変化を利用し、関係者が公共資産を自らのものにすることである。第三は、一部の人が市場体制の非完全性と未整備を利用して、暴利を自らの手に入れることである。こうした三つの腐敗活動はいずれも権力と関係している。計画経済から市場経済への移行期には、権力を制約する体制が、すばやく整備されなかったため、一部の人々はそうした特殊条件の中で、制約されない権力を私利私欲のために利用し、暴利を貪ったのである。

  一、行政権力の利用による市場活動への介入を通じた私利の追求

  移行期の経済社会では、経済資源を配分するメカニズムが主に二つ存在している。一つは、市場メカニズムであり、もう一つは、行政メカニズムである。これまで中国に実行してきた「増量改革」あるいは「漸進的移行」の特徴は、この二つのメカニズムが相当長い期間に渡って併存していることである。一部の人は、まさしく二つのメカニズムの間にある隙間と欠陥を利用し、行政機構の経済活動に介入することを通じて、自らの私利を追求している。最近の二十年間にも、こうした行為の性質と結果に対して、数回にわたって激しい論争が繰り広げられてきたのである。

  最初の論争は、1970年代末から80年代初め頃に行われた。当時のホットな話題は、いわゆる「全民経商」のことであった。ここでいう「全民」とは、中国国民の全てという意味ではないが、この言葉で強調されたように、商売を行う人間が非常に多いことが議論の的になっていた。実際には、ごく一部の権力にありつける人だけに商売を行う許可が与えられていた。計画経済の時代には、あらゆる工業と商業は国家が独占経営を行っていた。こうした状況の中では、政府が農民の生産した食糧、綿、原材料の価格だけではなく、工業における中間財の価格も人為的に低く抑えることができた。こうして農業と工業の利潤が商業に移転された。商業の国有独占の度合いは最も高く、国家はこの分野における利潤の殆どを支配し、様々な用途に使うことができた。

  改革開放以降、政府機関や企業が事業を興し、その利益を従業員に対する報奨金や手当の支払いに充てたり、その子供達に就職先を提供することが許可されるようになった。商業の利潤率は非常に高いため、商店の開業許可をもらえた人は、大儲けすることができた。その結果、労働者も農民も兵士も学生も一斉に商業を行おうとする機運が高まった。この現象は特に南方地域で顕著であった。これが腐敗現象だという指摘もあった。しかし、しばらくすると、民間に対して商業への参入が認められるようになり、さらに政府機関による商業企業に対する制限が強化されるにつれて、社会からの批判は次第に収まり、それほどの大きな問題にならなかった。

  二回目の議論は80年代半ば頃に行われた。議論の焦点は、一部の人が価格の安い配給物資市場と価格の高い自由市場との価格差に目をつけ、それを利用し、暴利を得たことである。こうした「転売」活動の背景には、改革開放以降の「価格双軌制」がある。計画経済時代は、あらゆる重要な物資が、国家によって国有企業の間で統一して割り当てられ、そして統一された計画価格によって決済されていた。企業が儲けようが、赤字を出そうが、個人とは直接に関係がなかった。改革開放以降、企業には一定の経営権が与えられ、計画以上の製品を生産した場合、計画価格ではなく、市場価格でそれを販売することができるようになった。計画価格より、同一商品の市場価格の方がはるかに高かった。1985年、「価格双軌制」は一種の正式な制度として追認されるようになった。こうした中、計画価格と市場価格とのギャップがあまりに大きく、安い価格で品物を手に入れ、自由市場で販売すれば、簡単に暴利を獲得できた。例えば、当時、鉄鋼の計画価格は市場価格の二分の一に過ぎず、割り当てられた鉄鋼を市場に売れば、倍の金額を手に入れることができた。しばらくすると「転売」によって儲けるためには権力との結びつきが必要であることも知られてきた。権力がなかったり、コネがなかったりして割り当て物資の販売許可が得られなければ「転売」も行えないからである。後にこのような「転売」を行う人々またはその現象は「官倒」と呼ばれるようになった。社会では、様々な議論が飛び交い、だれそれの息子は、こうした権力をバックにわずか数ヶ月で百万元を持つ金持ちになったなどの話が頻繁に聞かれるようになった。

  このような「官倒」現象に対しては、二つの意見が対立していた。一方の意見の持ち主は、計画経済時代の思想を依然として持ち続けた人達であった。彼らにとって、腐敗とは古い社会に固有の醜い現象であった。それが社会に再び現れたのは、市場志向の改革によって、人々がひたすら富を求めるようになったためであり、金銭に対する欲望が腐敗の蔓延を促したためであると考えていた。彼らは、改革の方向を正すべきだと主張していた。すなわち、生産財の市場開放や貨幣の役割ではなく、計画の規律を強調すべきだということである。当時の『紅旗』雑誌では、マルクスが早くから、金銭が人間の犯罪を促すことを予言していたという論文が掲載された。こうした観点を持った人々は、中国社会の純粋性を維持するため、市場志向の改革をすべきではないと考えていた。こうした考えに対して、もう一方の人々は、市場の役割の拡大、貨幣の役割の向上が、結果的に人々の欲望を刺激し、腐敗現象の増大を導くことは認めるものの、市場の開放、そして貨幣の役割を高めない限り、中国の経済は改善されず、国家全体が豊かになることはできないと主張した。従って、彼らは、経済発展のためにも、腐敗は容認すべきだと考えていた。彼らは、腐敗の拡散は経済を発展させるためには、払わざるを得ないコストであり、道徳的な純粋さのために、経済発展という根本利益を犠牲にするわけにはいかないと考えていた。さらに、その中の一部の人々は、計画経済は錆付いた機械であり、それを運転させるには、潤滑剤が欠かせないように、腐敗はまさしく取引コストを減少させる潤滑剤そのものであると考えた。従って、腐敗に対して、特に疑問を持つべきではなく、経済発展の利益のために腐敗を容認すべきであり、さらに、計画経済制度をぶち壊すために、腐敗を武器として活用すべきであるとの意見すら存在していた。

  こうした二つの極端な考え方のほか、一部の経済学者達は、上述した二つの観点は、価値観では完全に対立しているが、両者は、市場経済を腐敗の根源、そして蔓延の経済基盤と見なしているという間違った共通の理論前提を持っていると指摘した。こうした経済学者達は、市場経済の発達によって人々の欲望が増大させられたことを認めるが、問題は欲望そのものではなく、その欲望を実現するために人々が生産活動よりもレントシーキングに励むことを助長する制度の欠陥であると彼らは主張する。

  レント(rent)は経済学において早い段階から存在する概念の一つである。それは、地代と家賃のように供給不足によって作り出された超過利潤のことである。一般の業界では、供給の価格弾力性が高く、何の参入障壁も存在しないため、超過利潤があるところには、供給が自動的に増大し、価格が下がると、超過利潤はなくなってしまう。しかし、農業などでは、土地が有限であるために、土地がその所有者と経営者によってすでに所有され、自由な市場参入ができず、超過利潤が生じてしまう。このような状況を指して、「絶対地代」が所有権の独占、「差額地代」が経営権の独占によって作り出されたものであると、マルクスは主張していた。1970年代、発展途上国を対象に研究する西洋の開発経済学者、そして先進国を対象に研究する政治経済学者達は、所有権独占と同様に、行政独占も参入障壁になり得ることに着目しはじめた。例えば、多くの発展途上国の場合、民族の利益を守るために多額の利潤をもたらす特定の輸出製品の輸出に対して、通常、割当制度を実施し、超過利潤を維持しようとする。しかし、行政的な割当制度は、腐敗をもたらしやすい。なぜなら、輸出許可書さえ獲得できれば、レントを獲得できるからである。従って、人々は輸出許可書を発行する権力を持つ官僚に賄賂を渡し、レントを獲得しようとしている。こうした行為が「レントシーキング」と呼ばれている。1980年代中期から後期の「官倒」現象の本質は、「レントシーキング」によって説明することができる。それによると、腐敗の蔓延は、決して市場志向の改革によるものではなく、むしろ行政が市場の取引活動に介入したことに原因がある。

  「官倒」達が欲望を実現できる理由には、物資の流通と価格の「双軌制」という制度が存在するからである。一つは「計画軌」であり、そのルートで取り扱われる物資の価格は低く抑えられている。もう一つは「市場軌」であり、このルートで売買される物資の価格は市場の需要と供給に伴って変化する。移行期経済は通常、物資が不足しがちであるため、「計画軌」と「市場軌」との間に大きな価格差が存在し、「計画軌」に参入できる人々が物資を「市場軌」に「転売」すれば、暴利を手に入れることができる。従って、普通の民衆たちは、何の経済理論を勉強したこともないにもかかわらず、直感的に「官倒」という経済現象の本質を認識している。要するに、「官倒」達は実際に割り当てた物資を自ら購入し、それを市場に売り出す必要はなかった。「官倒」達はただひたすらに各種の割当指令、役所の書類、言い換えれば権力の証明文書を「転売」するだけでよかったのである。物資のほかに、外貨の売買における「二重為替レート制」も、「官倒」にとって儲かる方法であった。

  90年代初期になると、商品価格の殆どが開放され、「許可書などの書類」を「転売」することはもはや価値がなくなったが、レントシーキング行為はさらにその度合いを増していた。当時、二つの新しいレントシーキングの対象が生まれてきた。一つが貸出であり、もう一つが土地である。「官倒」活動の重点が、80年代の商品から、生産要素に対するレントシーキングにシフトしたのである。計画経済期には、貸出利率が非常に低く、改革開放に転じてからもそれは維持されてきた。90年代初期に、深刻なインフレになると、国家銀行の実質貸出金利がマイナスとなった。つまり、当時、国有銀行から金を借りることで、実質上利子を払う必要がないどころか、逆に補助金がもらえたのである。もう一つのレントシーキングの対象は土地である。計画経済の時代には、国有の土地は計画通りに国有企業に割り当てられ、無料で使用されていた。改革開放以降、国家は土地の使用者に対して、「賃貸」を行うことになった。それには主に二つの方法がある。一つは、「入札」であり、もう一つは「協議」である。90年代初期、国家は大規模な土地の賃貸に乗り出したが、大半は協議の方法が採用された。どの程度の面積を、いくらの価格で賃貸するのかは、行政のトップの言う通りになる。こうした状況の中では、コネのある人は、低い値段でよい土地を手に入れ、それを売却すれば、一瞬にして大金を儲けることができた。不動産バブルの波にうまく乗れば、二番目、三番目、四番目の取引参加者まで利益を受けることができた。それは最後の一人の運の悪い人だけが損失を被るまでそのプロセスが続くことになった。当時の広西省の北海市は、最も不動産バブルに沸きたった都市であった。そこには、中国全土から何百億元の資金が注ぎ込まれ、多くの金持ちを一夜にして作り出したが、その代わりに多くの幹部達が腐敗に手を染めた。バブル崩壊後は、公共財産に対して大きな損害を与えることになった。

  レント価値の計算は、レントシーキング研究の一つの重要な内容である。アメリカのスタンフォード大学教授、IMFの筆頭副専務理事であるA・クルーガーは、1974年に「レントシーキング社会の政治経済学」という有名な論文を発表した。そのなかで、彼女は、世界で最も腐敗が深刻だと思われた二つの国―インドとトルコ―のレント総額をそれぞれGDPの7.3%と15%と推計した。それ以降、この比率が国の腐敗の度合いを表す一つの指標と見なされるようになった。

  クルーガーの方法に基づいて、中国の経済学者胡和立と万安培は、中国の年別のレント総額を計算した。その結果は、トルコとインドより高く、実に驚くものであった。彼らの計算によると、中国のレント総額の対GDP比は、1987年が20%、1988年が30%、1992年が32.3%であった。つまり、中国人民が一年間に作り出した財の三分の一がレントシーキングの対象となり、賄賂を受ける官僚の収入になる計算である。これさえ理解できれば、1990年代初め、中国から毎年、海外へ流出した資金が何百億ドルにも上ったか、それほど高級ではない官僚でさえもが、海外で豪邸を購入し、自分の家族を移住させることが可能になった理由は、簡単に理解できる。

つまり、市場化改革がまだ未完成の状況では、政治権力を通じて資源を分配するメカニズムと市場で資源を分配するメカニズムが、お互い影響を及ぼしあうことがある。まさしくこうした体制の中、腐敗が流行するようになったのである。こうした状況の中、さらに一部の人は、「レントシーキング」にとどまらずに、様々な名目で、行政権力は経済活動に対する介入を強め、「レントシーキング」の機会を増やそうとした。それが結果的に、腐敗現象の一層の深刻化をもたらしたのである。二、財産関係の調整を利用した私利の追求

  

  移行期には、所有制構造が大きく変化し、権利関係が大いに調整される。従来の公共財産の所有権の帰属があいまいであり、しかもそれを改める民営化の過程が政府の行政指導の下で行われたため、行政権力の運用に対する監督の度合いが十分でなければ、権力にありつく官僚が権力を悪用し、公共財産をほしいままに自らのものにすることができる。これは腐敗が生まれた二番目の重要な根源である。

  財産制度は社会の一つの基本制度である。計画経済の下では、全社会の資産は国家所有となる。こうした情況の中では、所有権の帰属はそれほど問題にはならなかった。しかし、改革開放以降、所有権を従来のままに放置した場合、大きな問題が生じる。なぜなら、市場関係は、異なる主体間の所有権の交換関係を意味しているためである。市場経済を形成させるには、従来の所有権関係を改革し、所有権を明確に確定しなければならない。こうした所有権関係に対する調整の多くは、各レベルの官僚によって行われている。権力の運用が厳格に監督、そして制約されない情況の中、権力を持つ一部の人間は、権力を乱用して、公共資産を自分のものにすることができる。以下で示すようないくつかの状況は、実際によくみられるものである。

  1.国有企業改革の際、「所有者」の顔が見えず、雇用されている経営者が企業財産の処理にあたっている

  長い間、企業の経営者に対して「放権譲利」を行うことは、国有企業改革の主な内容であった。しかし、実際には企業の経営者が所有者の全権代表として自らに「放権譲利」を行ってきた。そうすると、一部の人は、簡単に所有者の利益を侵害することによって、自らの利益を獲得することができる。

  よく見かける方法の一つは、様々な形で国家という大きな「金庫」から自らの小さな「金庫」に利益を移転させることである。改革開放以前、企業の財産は国家所有であった。改革開放以降は、計画外の一部を自らが経営し、販売計画以外の収入の一部を企業の「三項基金」(個人奨励基金、集体福利基金と生産発展基金)への転用が認められるようになった。このことは、企業の財産が二つの部分によって構成されることを意味する。すなわち、国家に属する国有資産と企業自身が所有する「自己資産」である。その資産のいずれもが企業の経営者に把握されるため、様々な手段で「大金庫」の利益を「小金庫」へと移転する人間が現れた。一部の大型国有企業、とりわけ対外貿易企業は、ハイリスクとハイリターンである国際先物市場において取引を行い、失敗の損失は国家に負わせ、利益は企業の「小金庫」、場合によっては個人のものにすることも見られた。

  もう一つの手段は、自らの管轄する機関を通じて公共財産を自分のものにする方法である。「四人組」の失脚後、国有企業と共産党・政府機関が自らの本業と関係のない別会社を設立することが認められるようになった。本来、その目的は、農村部での労働から都市部に戻ってきた従業員の家族や親類の就職問題を解決するためであった。しかし後に、一部の人はそれを悪用するようになった。例えば、何人かの側近を集め会社を設立してから、利益をそこへと移転させた。国有企業の経営者は企業の所有者(国家)の全権代表であるため、「利益移転」を行う際に、「大金庫」に移すにせよ、自らのポケットに入れるにせよ、ほとんど制限を受けていなかった。従って、企業が投資し、会社などを設けることはもはや一つの流行となってしまった。そして設立された会社の企業経営者も同様に会社を設けてしまうこともあった。いわゆる「親が子を産み、子が孫を産み」というプロセスが繰り返された。一部の大型国有企業は、千以上の法人機構を、国内だけではなく、海外にも抱えている。最終的に、どのぐらいの帰属企業を抱えているのかは、一番上の企業の経営者は全く把握していないのである。こうした状況では、「利益の移転」が非常に簡単なものとなった。

  また、「株式化」を行う際、流通株を高い値段で大量に発行し、投資者に「売りさばく」一方、内部者の間に密かに低い値段で「原始株」を分け合い、公共財産を自らのものにすることも盛んに行われている。

  2.「放権譲利」による企業改革案が抱える多くの問題点

  国有企業の問題の根源は、企業制度の効率が欠けていることにある。しかし、長い間、中国は所有権改革、制度革新といった方法で問題の根源に触れることなく、ひたすら「企業」(主に経営のトップ)に「放権譲利」を行い、それによって、彼らにインセンティブを与え、企業経営の改善を求めようとしてきた。しかし、そのために導入された「企業の請負制」、「授権経営」及び「授権投資」などの方法は大きな弊害を伴っていた。

  国有企業の所有者(国家)が、自らの所有権を経営者に行使してもらうことは、請負制から始まった。現代の経済学では、所有者が企業の残余コントロール権(最終支配権)と残余請求権(利潤要請権)を握ることは、所有権を明確にするための最も基本である。しかし「企業の請負制」では、事実上、国家が請負期間におけるあらゆる支配権と請負利潤額を上回る残余請求権を放棄することを意味し、雇用された代理人(請負人)が企業の所有権にありつく本当の所有者になってしまう。こうした所有権制度では、一部の請負人は自らの権力を悪用し、様々な手段で公共財産を自分のものにすることが可能となる。つまり、混乱した所有権制度によって経営者が腐敗するための巨大な温床が作り上げられたのである。このような所有権制度の下で、「チンピラ達が請負を受け、なんでもかんでも公費で消費」といった社会現象があまりにも頻繁に行われることを考えれば、首都鋼鉄公司のような請負制のモデル企業でさえも、多額の汚職腐敗犯罪が多発したことは、もはや驚くほどのことではない。

  企業の請負制は後に「授権経営」と呼ばれる正式な所有権制度として、1988年に成立した「全民所有制工業企業法」に盛り込まれた。「企業法」では所有権と経営権の分離を次のように解釈していた。すなわち、国家の所有権と工場長など経営者が代行する企業の経営、企業資源の利用および財産の処分権の分離、ということである。これは雇われた人員であるはずの工場長などの経営者が自らの利益と意思で企業財産を処理することに、一定の法的根拠を与えてしまった。

  有名な事例の一つに挙げられるものは、湖北長江動力集団公司の于志安事件である。この会社の「授権投資者」と「法人代表」であった于志安は、かつて解放戦争に参加し、「五一」労働勲章などの様々な名誉が与えられた英雄であった。彼は長江動力集団で共産党委員会の書記、理事長、総経理を一人で担当していただけではなく、会社の占有、使用および処分する権力をすべて持っていた。当時、長江動力集団の海外にある子会社は、18社にも上った。1995年5月、于志安は事前の連絡もなしに、フィリピンに逃亡し、現地にある一つの子会社を売却し、その収入を自らの財産とした。その後、武漢国家資産管理局の責任問題が追及された時に、その役所の責任者は国家が授権経営に関する通達を手にして、于志安に対する授権が法律規定に基づいて行われたことを指摘した。このような体制の中では、于志安の事例は個別のものではないはずである。

  3.所有制改革後の企業制度は内部管理体制に大きな問題を抱えている

  大多数の国有企業は、現在の企業株式化による再編をすでに終えたが、まだ、「所有権の明確化、権利と責任の明確化、行政と企業の分離、科学的企業管理」という要求を完全に実現することができておらず、『中華人民共和国公司法』の規定も満たしていないなど、制度上多くの問題点を抱えている。

  まず、通常、所有制改革後の企業は公司制の形を採用することになる。その中の国家株と国有法人株の所有者は、法律によってはっきり定められており、一見所有権が明白であるように見える。しかし、持株会社、集団公司、あるいは資産管理公司など、国家の委託を受けて国有企業の株主の役割を演じる投資機構自身も、一つの企業として、経営者が同時に所有者の全権代表を兼ねるのである。従って、本当の所有者は実際には存在せず、所有者と経営者との間にチェック・アンド・バランスの関係が成立しないため、内部者支配の状況が依然として維持されている。「授権投資機構」は所有者の全権代表でありながら、雇用を受けたインサイダーでもある状況では、一部の「授権投資機構」の経営者が自らの権力を利用し、個人あるいは個人が属するグループの利益のために働きかけることも可能である。最もよく見かける方法では、親会社となる「授権投資機構」が貸出金の滞納を通じて、上場企業を搾取することである。こうした問題は、移行期において、所有者としての国家が自らの責任を果たしておらず、代理人に対する有効な監督が行われていないことによるものである。こうした情況の中では、公共財産が大量に流失する現象は避けられない。

  所有者が不在という情況では、企業内部の財務管理における緩みは不可避である。1995年ベアリング銀行の倒産事件が発生した後、国際金融の研究によって、ディーラーであるリーソン(Nick Leeson)の不正行為が可能になったのは、決して外部監督の問題によるものではないことが明らかになった。当時、シンガポール証券監督会ではベアリング銀行の取引行為に問題があるとすでに指摘したが、問題は改善されなかった。実際には、ベアリング銀行内部の財務管理に巨大な問題点が存在していた。金融業が直面しているのは、リスクの非常に高い市場である。しかも、最前線で働く人員であればあるほど、そのリスクと収益のバランスがとれていない。仮に彼が取引で儲かると、間違いなくボーナスが与えられるが、損害を与えても自分がそれを背負うことはない。従って、ディーラー達がリスクの高い取引を行う傾向が見られる。こうした行為が会社の利益に損害をもたらすことを防ぐために、会社内部の財務管理を強化しなければならないが、内部の財務管理は最終的に、所有者の自らの財産に対する強烈な保護意識にかかっている。所有者不在の場合、内部者による不正行為が行われやすい。

  現在、国有銀行は巨額の不良債権に悩まされている。1兆4000億元の処理をした後も、いまだに1兆8000億元が残っている。こうした巨額赤字の相当の一部も国有経済における腐敗に関係している。

  三、暴利を得るために利用された市場環境の未整備

  理論経済学で市場取引を観察する場合、まず一つの完全市場を仮定する。こうした市場では、十分に情報を把握した経済主体が平等に取引を行うと考えられている。しかし、実際の経済生活の中で、例え所有者の間に平等に取引を行う市場が一応、形成されたとしても、それが決して完全となることはない。市場の不完全性の最も重要な要因は、取引双方が把握している情報の非対称性である。情報が非対称的な場合、情報をより正確に把握する側がその情報の優位性を生かし、それを持たない相手に損害を与え、利益を獲得することができる。市場のメカニズムが正常に機能するためには、市場を監督し、取引行為を規範することが欠かせない。例えば、商品市場では、消費者が通常、弱者の立場にある。現代の消費者は直面する商品の品種があまりにも多く、こうした製品の生産コスト、品質などの情報を完全に把握することは到底不可能である。これに対して、商品の生産者と販売者がその商品の実態をよく知っている。従って、一部のメーカーがこうした情報の優位性を利用し、あまりにも高い値段、あるいは品質の悪い商品を良いものに偽って販売するなどの方法で消費者を詐欺していることがある。成熟した市場経済では、情報の非対称性がもたらす諸問題に対処するための制度が整備されている。例えば、業者が行政に登録することが義務付けられることや消費者の保護団体が情報の欠ける側に情報提供を行うことなどである。中国市場経済が成立する過程において、われわれが直面しているのは、市場経済固有の問題だけではなく、もっと重要なのは、市場関係がいまだに成立していない状況に見られる問題である。こうした状況は、成熟した市場経済よりもっと複雑である。

  金融、証券市場は情報の非対称性という問題が非常に深刻であるため、それに対する規範と監督が特に重要である。金融市場監督の主な内容は主に以下のものを指している。第一に、強制的な情報公開である。上場企業は全面的かつ正確に情報を公開し、情報の非対称性を減少させなければならない。証券監督機構の主な職能は、偽った情報公開を是正し、処罰することにある。『中華人民共和国証券法』では、上場企業の情報公開の義務を規定している。第二に、インサイダー取引を厳しく制限することである。インサイダー取引とは、内部の関係者が自らが持つ内部情報を利用し、その情報を持たない外部投資者の利益に損害を与え、あるいは自分に利益をもたらす行為であり、市場経済では、一種の刑事犯罪と見なされている。会社の役員、上層部の経営者をはじめとするインサイダーは一定の期間(例えば財務諸表が公表されない場合)、その企業の株を取引することは出来ない。仮に許可されたとしても、彼らのこうした売買は登録されなければならない。第三に、市場価格を操作する行為を処罰することである。市場価格は情報に多く左右されるため、証券市場では、犯罪者が偽の情報を流し、株価を操作し、暴利を得ようとする違法行為は後を絶たない。市場経済では、株価の操作は通常、一種の重い刑事犯罪と見なされている。「中華人民共和国証券法」では、インサイダー取引と株価を操作する行為は刑事犯罪に当たる。各関係部門が連携し、それに対する監督し、そして犯罪の容疑者に対して告訴しなければならない。

  現在、中国の証券市場では、偽情報の提供、インサイダー取引、株価操作といった状況が深刻である。先進諸国の証券市場にも絶えず不祥事が発生しているが、中国の証券市場に見られる問題は、その深刻さと発生頻度のいずれも、それを上回っている。さらに警戒すべきことは、法律、そして規定に違反した活動への対応が適切に行われず、株価操作といった中国の刑法に犯罪行為と定められた行為が平然に行われていることである。しかも一部の人が、市場環境の不整備を利用し、簡単に巨額の財を自らのものにしたにもかかわらず、殆ど法律による処罰を受けていない。

  中国株式市場の非正常な状態の形成は、証券市場の位置付けが歪められていることと密接に関係している。なぜ、市場経済に証券市場を必要としているのか。現代経済学によると、証券市場の基本機能は、株式市場での取引を通じて、資本資源を効率の低い企業から、効率の高い企業に流し、資本資源の最適な配分を行うことにある。しかし、中国の株式市場が形成された後のしばらくの間は、管理当局が「証券市場は国有企業に傾斜すべき」、「証券市場が国有企業への融資に奉仕する」などの方針を決めてしまった。上場企業が、証券市場からより多くの資金を獲得するために、管理当局は絶えず奨励的な言論を発表し、「株価対策」を実行し、さらに供給と需要の両面から措置を採用し、株価を上昇させていた。供給面での問題は、採用された主な措置の一つに上場限度を設けたことである。さらに、「流通株」と「非流通株」を区分し、全体の三分の一に当たる株券だけを上場、流通させることも問題である。この結果、流通株が不足しており、平均PER(株価収益率)が60倍から70倍にものぼるほど高騰するのである。すなわち、投資者は60-70年間をかけて、ようやく企業の利益で投資を回収することができる。こうした状況では、上場の権利を獲得できるものは、簡単に暴利を手にすることができる。それが結果的に、株式市場を一つの巨大な「レントシーキング」市場へと転換させている。一方、あまりにも高いPER率と低すぎる利潤成長率によって、大多数の株が投資価値を失い、人々がもはや投資ではなく、むしろ投機操作による株価の上昇でリターンを求めるようになっている。

  証券市場のこのような欠陥は、その正常機能の発揮を妨げている。しかし、一部の人はこうした市場の有用性を心得ている。権力の背景がある人、あるいは内部情報にありついた人は、上場企業、金融機関の内部の人間と連携し、市場を操作することによって、暴利を獲得している。結果的に、株式市場はもはや「ルールが存在しないカジノ」になってしまった。

  そもそも、政府が株価をつり上げることによって、国有企業に資金を誘導しようとするやり方が完全に間違っている。それにより、大量の中小投資者がこの罠に陥り、そして政府もジレンマに陥ってしまっている。それ以上の株価対策を行っても、株価の維持が出来ない場合、多くの投資者が被害を受け、政府の信用が大きく損なわれることになろう。しかし、株価を高い水準に維持するためには、大量の資源の注入が避けられず、中国金融体制の安全性を脅かしかねない。

  制限を受けない権力が暴利をもたらす情況では、一部の人は手段を問わず、権力を手に入れようとするだろう。その方法の一つが、「買官」である。実際、90年代の半ば頃から、一部の地域では、公職の売買が見られるようになった。こうした悪質な風潮に対しては、断固かつ有効な措置で対応しなければならない。それができない場合、共産党の体制は深刻に腐食され、その統治の合法性も損なわれることになるだろう。

  呉敬璉 Wu Jing Lian

  1930年南京生まれ。1953年上海復旦大学経済学部卒業後、現在の中国社会科学院経済研究所に配属され、社会主義政治経済学などの研究に従事。80年代初めにオックスフォード大学やイェール大学で近代経済理論を学ぶ。1984年より中国の国務院発展研究センターで比較経済学、社会主義経済改革の理論や政策の総合研究に従事し、中国経済体制改革の理論構築や政策制定に直接携わっている。改革開放当初から一貫して競争原理に基づく市場経済の形成を主張、今日の中国経済改革はほぼ彼の提言通りに展開されている。70歳を超えたにもかかわらず、現在も中国経済体制改革の最前線で精力的に活躍し続けている。

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